新島正子さん死去 琉球料理普及に尽力、98歳


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新島正子さん

 沖縄初の料理学校を1959年に設立、琉球料理の普及や調理師育成に尽力した料理研究家の新島正子(にいじま・まさこ)さんが4日午前6時50分、老衰のため南城市の特別養護老人ホームで死去した。98歳。那覇市首里当蔵町生まれ。

告別式は7日午後2時から3時、那覇市銘苅3の22のサンレー那覇北紫雲閣で行う。喪主は長女又吉桃子(またよし・ももこ)さん。
 33年に県立第一高等女学校卒業、36年に東京家政学院専門部を卒業した。結婚を機に38年に満州に渡り戦後大阪に引き揚げたが、医師だった夫の盛夫さんが急死。帰郷して専業主婦から転身、59年に新島料理学院を設立した。
 家庭料理普及の傍ら琉球料理研究会を主宰。沖縄国際海洋博覧会を翌年に控えた74年、沖縄調理師専門学校を設立、調理師育成に尽くした。
 68年に始まった新報料理講習会で初回から講師を務めた。92年には沖縄伝統ブクブク茶保存会を立ち上げ、2001年から09年まで沖縄満州会の初代会長を務めた。
 瑞宝双光章、県功労者表彰、第22回琉球新報賞などを受賞している。
 沖縄調理師専門学校長を務める料理研究家の次女、安次富順子さん(70)は「これはと思ったことにはまっしぐらに突き進む師であり母だった。切り開いた道の後をしっかり歩いていきたい」と語った。