惨状の記憶「継ぐ」 伊江・LCT爆発事故慰霊祭


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被爆慰霊碑に手を合わせ犠牲者を悼む遺族ら=6日、伊江港

 【伊江】米統治下の1948年8月6日に、伊江島の波止場で起こった米軍爆弾処理船(LCT)爆発事故の犠牲者を悼む慰霊祭が6日、伊江港内の慰霊碑前で執り行われた。島袋秀幸村長をはじめ、村議会議員や各区長、遺族ら約40人が出席した。

 事故当時、米軍が沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を処理搬送する爆弾処理船に積み込みし、島外に運び出す作業中に荷崩れを起こし、弾薬が爆発した。
 近くで海水浴を楽しんでいた子どもたちや、渡久地港から物資を満載した船が入港し、下船した乗客や出迎えに訪れた多くの人々が惨劇に巻き込まれた。
 乗客や船員、出迎えの人々ら102人(村内63人、村外39人)の尊い命が奪われ、73人(村内41人、村外32人)の負傷者を出し、8家屋が全焼する大惨事となった。船から約90メートル離れた家屋が破壊され、360メートル先まで船の破片が飛び散った。
 終戦後、米軍により渡嘉敷村や座間味村に強制移送された村民の帰島が許されたのが47年3月。復興に向けて歩み始めた最中に事故が発生した。
 島袋村長は「67年の歳月がたち、事故の記憶を決して風化させることなく、二度と忌まわしい戦争が起きないよう見守りください」とあいさつした。屋嘉比智章さん(72)は「母と子の4人が犠牲になった。爆風で自宅までタイヤが吹っ飛んできたことを鮮明に覚えている」と語った。
(金城幸人通信員)