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名護・振慶名集落の歴史後世へ 288年前、今帰仁・湧川から移転 300年の節目向け勉強会


名護・振慶名集落の歴史後世へ 288年前、今帰仁・湧川から移転 300年の節目向け勉強会 約288年前に集落があった場所を巡って、跡などを確認する名護市振慶名区の区民ら=5月29日、今帰仁村湧川
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 【名護・今帰仁】名護市振慶名の歴史を後世に受け継ごうと、同区が旧羽地大川の歴史や地域を知るウオーキングコースの選定を進めている。振慶名は1736年、琉球王府の政治家・蔡温の山林政策、農地政策によって、今帰仁村湧川から現在の羽地地域に移動した経緯がある。同区は12年後の集落移転300年の節目に向けてさまざまな事業に取り組む考えで、5月29日には地域の有志らが移転前の場所を訪ねて、地域の歴史について学んだ。
 勉強会は、県地域振興会の地域活性化助成事業の支援を受けて実施され、振慶名区の座喜味務区長のほか、地域住民らが参加した。湧川区の長田光吉区長が案内役となり、村墓があったとされる場所や旧集落があった「ガジマン堂」と呼ばれる場所を中心に広がる集落の跡などを訪ねた。
 村墓は、カーソー川河口の小高い林にあったとされるが、この日の勉強会では詳細な場所は分からなかった。蔵迫(クラサク)と呼ばれている、集落があった場所は、1960年代には数軒の民家があったとされているが、現在は草木が生い茂り、立ち入りができない状態だ。
 ただ、地域住民らは、先人が生活していた場所を感慨深そうに訪ね歩き、「湧口(わくぐち)」と呼ばれ、生活用水として利用した湧き水が出る場所を拝んでいたことなど、伝承を話し合った。
 振慶名区は今後、蔡温が実施した羽地大川の改修工事などについて視察するなど、地域の歴史への理解を深めていく考え。8月11日には区民らが参加し、地域の歴史を知るウオーキングやロゲイニングの大会を開く。座喜味区長は「移転300年を意識しつつ、次の世代に歴史をつなげるために、取り組んでいきたい」と話した。 (池田哲平)