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戦争学び、語り継いで 豊見城・長嶺中で特別授業 平和ガイドの会下地史彦さん 戦後の「コザ騒動」も紹介


戦争学び、語り継いで 豊見城・長嶺中で特別授業 平和ガイドの会下地史彦さん 戦後の「コザ騒動」も紹介 長嶺中学校の特別授業で講師を務める下地史彦さん =17日、同校体育館
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【豊見城】豊見城市立長嶺中学校(新崎峰子校長)で17日、6月23日の慰霊の日にちなむ「忘れてはならないこと~沖縄の過去・現在そして未来!~」と題した特別授業が開かれた。講師を務めた元小学校教師で、現在は「語りつぐ沖縄平和の会」(平和ガイドの会)会長の下地史彦さん(68)が「戦争体験者が語る個人的エピソードのバックボーンになっている歴史的背景を話すので、戦争について、平和について考えてほしい」と切り出し、焼け野原になった首里城周辺の写真や不発弾の実物を見せたり、戦後の米施政権下で“治外法権”となった沖縄の様子を語った。
 下地さんは最初に、砲弾が撃ち込まれてがれきだらけの焼け野原の写真を示し「なぜ首里城は跡形もなく破壊されたのか?」という疑問について語り始めた。
 沖縄戦では「鉄の暴風」と言われるほどの砲弾が撃ち込まれたことに触れ「激戦地では、学校の教室ぐらいの広さに約5200発の砲弾や爆弾、銃弾が撃ち込まれた」と説明。実際に不発弾の実物を持ち上げて生徒たちに見せた。続いて「6月23日は組織的な戦争が終わったとされているが、翌日の24日から突然平和が訪れたのでしょうか?」と生徒に問いかけ、生徒に考えさせた。
 また、戦後の米施政権下で発生した米軍トラックによる少女れき殺事故で、遺体を見下ろす米兵と手出しができない沖縄側という「無権利状態」を象徴するような写真も見せた。
 1970年12月にコザ市(現・沖縄市)で発生した米軍関係者の車両が焼き打ちされた「コザ騒動」についても紹介し、なぜ起きたのかについて生徒たち自身で調べてみることを促した。
 下地さんは「あなたたちに今できることは本やビデオ、話を聞くことなどを通して学び、それを人に伝えることだ」と呼びかけた。
 生徒を代表して3年生の大城菜々美さんは「沖縄が米軍に狙われたのは、(そこを拠点に)どこへでも攻めやすい大平洋の要石だったからだと分かった。『鉄の暴風』の話を聞いて痛みを想像するだけで苦しくなった。私たちが将来のために語り継がないといけない。戦争のない平和な世界にするために頑張っていきたい」と述べた。
 (喜屋武幸弘通信員)