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「軍命令で住民犠牲増」 豊見城・豊崎中で牛島貞満さん講師


「軍命令で住民犠牲増」 豊見城・豊崎中で牛島貞満さん講師 沖縄戦で日本軍が取った作戦を生徒に考えさせる牛島貞満さん=19日、豊見城市の豊崎中学校
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 【豊見城】豊見城市立豊崎中学校で19日に平和学習があり、沖縄戦で日本軍を率いた牛島満第32軍司令官の孫で、東京都公立小学校の教員だった牛島貞満さんが講師を務めた。日本軍の当時の作戦について考えさせながら、生徒たちに「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を伝えた。
 牛島さんは、「本土決戦準備の時間稼ぎ」として行われた沖縄戦の経緯を説明した。その上で、米軍が第32軍の司令部がある首里城に迫る1945年5月21日、日本軍の作戦会議で話し合われた「首里で戦う(首里持久戦)」と「南部に下がって戦う(南部撤退)」のどちらの作戦を選ぶか、生徒らに考えさせた。
 生徒が自分の考えを発表した後、牛島さんは沖縄戦体験者の証言映像も見せながら、日本軍が実際に決めた「南部撤退」がもたらした結果を説明した。牛島司令官が「自決」前に出した「最後まで敢闘し」という命令と合わせて、「第32軍の命令が住民の犠牲者を著しく増やした」と語った。「沖縄戦の記録と証言をきちんと語り継ぐことが、平和をつくり出す道になる」と締めくくった。
 参加した女子生徒は「日本軍が沖縄戦が始まっても住民を守らず、壕(ごう)から追い出したことに驚いた。日本軍が来て安心していた沖縄の人たちの絶望感があったと思う」と振り返り、「次の代まで伝え続けることを大切にしていきたい」と語った。 (南彰)