国際通り、海洋博、北谷…沖縄の今と昔の景色を比べてみた!


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

平成が始まった30年前の沖縄を覚えていますか。なじみの風景は、年とともに変化を重ねてきた。米軍基地返還跡地や埋め立て地には新しい街が生まれた。一世を風靡(ふうび)した「海洋未来都市」は役目を終え、姿を消した。新顔だったモノレールはもはや県民、観光客に欠かせない交通手段となった。生活の場だった街角には観光客があふれる。平成が終わる年。ちょっと前の沖縄へタイムスリップしてみましょう。

観光地化急進 那覇・国際通り

那覇の目抜き通りである国際通り。お出かけに、買い物にと県民の生活に密着していた通りは、2000年代から急速に観光地化が進んだ。その象徴が国際ショッピングセンター。開館は1972年。飲食店やブティック、書店などが入居し、多くの県民でにぎわった。2000年に閉館し、跡地はホールや土産品店、那覇市伝統工芸館が入るてんぶす那覇に。国内外の観光客も行き交う場所になった。

平成30(2018)年
平成11(1999)年(那覇市歴史博物館提供)

未来都市今も 海洋博・アクアポリス

1975年開催の沖縄国際海洋博覧会で、日本政府が出展したアクアポリス。漫画家・手塚治虫さんプロデュースによる夢が詰まった「未来の海上都市」は子どもたちを引き付けた。93年の閉鎖後、県などを経て米国企業に買収され、上海へ曳航(えいこう)された。海上には何も残ってないが、海洋博公園内にはアクアポリスの姿をモチーフにした大型遊具「アクアタウン」が設置されている。

平成30(2018)年
平成3(1991)年

新しい島出現 マリンタウン東浜地区

与那原町と西原町にまたがる「マリンタウン東浜地区」には、住宅や商業施設が立ち並ぶ。同地区の開発は1986年に国、県、当時の3町(与那原、西原、佐敷)が共同で構想し、96年に埋め立てが始まった。2002年の住宅と商業施設の用地分譲以降、目覚ましい発展を遂げた。

大型MICE施設の建設地にもなっており、東海岸の経済の中心地へと発展しつつある。

平成30(2018)年
平成9(1997)年(与那原町役場提供)

基地跡地一変 北谷町美浜

映画館にボウリング場、アミューズメント施設―。若者が集う北谷町美浜のアメリカンビレッジ。米軍基地返還跡地と埋め立て地が米国西海岸をモデルにしたリゾート地区に変貌を遂げた。1981年の基地返還に続き、88年の桑江地先埋め立てで土地を造成。97年の映画館開業を皮切りに大型商業施設が立ち並んだ。2000年代以降はホテルの進出が相次ぎ、観光地としても発展を続けている。

平成30(2018)年
平成7(1995)年

軌道交通誕生 沖縄都市モノレール

全国で唯一、軌道交通がない沖縄で2003年、沖縄都市モノレールが開業した。1972年に那覇市が構想を打ち出してから30余年越しの実現だった。戦前、旭橋駅周辺は軽便鉄道の那覇駅があり、戦後も旧那覇バスターミナルが入るなど本島交通網の要衝として多くに利用されてきた。現在は再開発によって新たなバスターミナルや県立図書館が次々とオープンし、一層にぎわいを見せている。

平成30(2018)年
平成11(1999)年(沖縄都市モノレール提供)