<社説>自決権回復へ 沖縄は強くなった 分断統治をはね返そう

 ここ数年ほど「自己決定権」が関心事になったことは過去にないだろう。裏を返せば、今ほど露骨に沖縄の自決権がないがしろにされた時期もないということだ。
 知事選、衆院選、名護市長選で示した民意に反し、政府は辺野古新基地建設の作業を強行した。翁長雄志知事を裁判に訴えもした。
 だが知事は国連で演説し、日本政府が沖縄の自決権や人権をないがしろにしていると述べた。県民の厚い支持を背景に、法廷闘争も受けて立つ構えだ。政府の強権も露骨なら、毅然(きぜん)としてはね返す県民の姿もまたかつてないものである。沖縄は確実に強くなった。

 明確な国際法違反

 知事が国連で演説したように、米軍は第2次大戦後、基地を強制的に接収した。われわれが自らの意思で土地を提供したことはない。占領軍による私有財産没収を禁じたハーグ陸戦条約(戦時国際法)は1907年の改定だから、当時ですら明確に国際法違反だ。
 「全ての人民は自決権を有する」と第1条でうたう国際人権規約に、日本も79年に批准した。選挙結果に反して基地建設を強行する政府は、従って自ら批准した国際法にも違反している。
 このような国際法も無視した沖縄の自決権侵害は「琉球処分」(強制併合)、施政権分離、日本復帰でも繰り返されてきたものだ。陸戦条約違反の米軍基地の合法化を図った「沖縄における公用地暫定使用法」は、沖縄返還前に制定された。特定地域にのみ適用される法律は憲法95条で住民投票が義務付けられているのに、沖縄の名を冠したこの法律は沖縄の意思を問うことなく決定したのである。差別的扱いを法律に組み込むのだから、まさに構造的差別だ。
 このような扱いを沖縄以外でできるだろうか。オスプレイ配備は沖縄で強行されたが、佐賀への暫定配備は地元の反対であっさり撤回した。沖縄との違いは明白だ。
 かくのごとき差別を許していれば、将来どうなるかは容易に想像できる。原発を推進する政府は、核のごみを2万年埋蔵する場所を探さねばならないが、手を挙げる自治体はない。政府は立候補を待つ方式から国が「適地」を選び、説得する方針に転じた。
 佐藤学沖国大教授が指摘するように、他県では絶対に受け入れない海兵隊を何としても沖縄に押し込めるという強権が、核のごみで使われない保証はどこにもない。今、辺野古新基地をはね返し、自決権を取り戻さなければ、われわれは子孫を守れないのである。

 着実に広がる共感

 確かにこと米軍基地に関する限り、この国の司法は政府を追認するのが常だから、法廷闘争を楽観視できる状況にはない。だが憲法は、安保や基地に関する法律は例外だなどと1行も書いていない。国が地方に常に優越するとも書いていない。法理に照らせば、自治を真っ向から否定する政府が不利だとの見方も十分あり得る。
 悲観するには及ばない。こうした沖縄側の訴えは着実に共感を広げてもいる。全国メディアの全国世論調査でも、国の対応が「不適切」とするのは過半数に及ぶ。民意を完全に踏みにじる強権を許せば、次はわが身だと警鐘を鳴らす言説も出始めている。むしろ地方の民意で政府を包囲したい。
 知事の国連演説の際には日本政府代表も演説した。だが「自決権」にまともに反論せず、「振興策をしてきた」と訴えるだけだった。植民地支配に厳しく対峙(たいじ)してきた国連である。人権に金を対置する論理は反感を買ったはずだ。国際世論を味方にする作業も一定の効果を挙げているとみていい。
 注意したいのは分断統治だ。沖縄の分断を図る意図をもはや政府は隠していない。長く保革で争ってきた政治風土があるから容易ではないが、構造的差別を次世代に引き継ぐか否かの瀬戸際だ。全首長や経済・市民団体も署名した建白書を思い起こし、寛容の精神でもう一度総意をまとめ上げたい。