<社説>北部訓練場返還 負担生むSACOの矛盾


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 菅義偉官房長官が米軍北部訓練場の約半分を年内に返還すると表明した。翁長雄志知事は「SACO(日米特別行動委員会)合意で重要なのでよろしく」と応じ、「大変歓迎」と評価した。

 しかし、北部訓練場の返還は東村高江集落を囲むようにヘリパッドを新設するという条件付きで、反対運動が激しくなっている。
 1996年に発表されたSACO最終報告は普天間飛行場の全面返還を含む11施設、約5002ヘクタールを返還すると決めた。北部訓練場の53%に当たる3987ヘクタールも盛り込まれた。
 しかし、11施設の返還は遅々として進んでいない。報告から19年後の2015年3月末で返還されたのは454ヘクタール、わずか9%だ。
 それはなぜか。ほとんどが旧施設の県内移設を条件にしているからである。
 普天間飛行場は政府が移設先とする名護市辺野古の新基地計画が県民の強い反対を招いている。那覇軍港は01年に浦添市が受け入れを表明したものの、根強い反対があり進んでいない。北部訓練場のヘリパッドは最も近い民家からわずか400メートル、しかも環境アセスの想定になかったMV22オスプレイ用の大型である。
 辺野古も高江も住民の基地負担は確実に増す。15年から米軍が使う二つのヘリパッドは、夜間に99・3デシベルの騒音が確認され、高江の住民が被害を受けている。北部訓練場の返還部分は米軍が「不要」と明言した場所にもかかわらず、日本政府は「沖縄の基地負担の軽減」と印象操作をしている。
 沖縄の負担軽減をうたったはずのSACO最終報告が新たな基地負担を生む。この矛盾は、最終報告に沖縄の意見が入っていないからだといえる。
 SACO最終報告は、1995年の米兵による少女乱暴事件を契機に、県民から米軍基地の返還要求が高まったことを受け、日米協議を経て翌年に発表された。しかし協議に沖縄側が入ることはなく、県民は発表された計画を押し付けられた。その結果、県内移設を巡って新たな対立を生み、負担軽減とは程遠いものとなった。
 この矛盾を解消するために、日米両政府は沖縄の意見を取り入れた新たなSACO合意ともいうべき、基地返還のプログラムをつくるべきだ。それが真の沖縄の負担軽減につながる道となる。