<社説>土井さん死去 護憲の遺志受け継ごう


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 元社民党党首で「おたかさん」の愛称で親しまれた土井たか子さんが亡くなった。

 護憲の象徴的存在だった。憲法学者から政界に転身して、平和憲法の理念を守り、現実に生かしていく活動を続けた。
 沖縄戦に動員された女子学徒と同年代で、1945年3月の神戸大空襲を体験した。
 「私が沖縄で生まれ育っていたら、恐らく壕の中にいたかもしれない」「沖縄は私自身に置き換えて問われ続ける問題」と語っている。その言葉通り、沖縄問題の解決に尽力した政治家だった。
 土井さんといえば、1971年11月の「沖縄国会」が印象深い。沖縄返還協定が審議半ばで強行採決された。この時、屋良朝苗主席は沖縄の自己決定権を盛り込んだ「建議書」を携え羽田空港に到着したばかりだった。
 強行採決を許した船田中衆議院議長に対する不信任決議案が提出された。賛成討論に立った土井さんは、ひめゆりの塔の碑文「いはまくら…」を引用。返還協定は沖縄戦、沖縄を切り離したサンフランシスコ講和条約に次ぐ「第三の沖縄処分」と指摘しつつ船田議長に辞職を迫った。
 「議長自身、男子としてこれを恥じ(中略)公人としてこれを恥じ議員としてこれを恥じ、議長として最もこれを恥じていただきたい」
 足尾鉱毒事件を放置する政府を憲法破壊と批判した田中正造や、太平洋戦争突入を前にして軍の独走を批判した斎藤隆夫の「反軍演説」を参考に文案を練ったという。
 今や戦争を知らない世代が大半を占める。安倍晋三首相もその一人だ。「積極的平和主義」を掲げ、日本が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。平和憲法の骨抜きだ。
 集団的自衛権がもし行使されれば、米軍基地が集中する沖縄が攻撃対象になる危険性が高まるだろう。
 平和憲法は日本が世界に誇れる規範だ。土井さんはかつて「憲法を現実に生かす努力を怠ったままで、現実に憲法を合わせようというのは本末転倒の論議だ」と、改憲派を喝破した。
 「二度と戦争はしない」と誓った憲法の精神を受け継ぎ、対話と信頼醸成を基本に多国間協調の枠組みをどうつくるか。おたかさんは私たちに大きな宿題を残した。