<南風>「世代」を超えて


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 梅雨明けが近づくと今年も慰霊の日がやってくる。私の曾祖父母も71年前、糸満で亡くなった。この日がくるたびにさまざまな想(おも)いが駆け巡る。

 95歳の祖父は、日本一、行軍したと言われている部隊に5年間所属した。青春=戦争だった。生死隣り合わせの5年間、地獄のような経験をしてきた。しかし、晩酌するときは決まって俺は戦争で負けたことがないと自慢し、楽しそうに軍歌を歌う。そんな祖父も、夜中は大声を出しうなされることが多かった。常に強い祖父だが、精神的には大きな傷を抱えているのだと思う。
 このような経験をした祖父だから、しつけもすべて絶対規律の軍隊そのもので、さらに暴力が加わり、私の父が祖父から受けたしつけは、筆舌に尽くし難い。その結果、父は酒浸りの生活になった。
 私が幼少期の父は、暴力は振るわなかったが、常に酔って威圧的な態度で「お前らなんか、いない方がいい」と暴言を吐いた。何かあるごとに自己責任と言って、無干渉な態度を貫いた。母が献身的に私たちの面倒をみてくれたのが唯一の救いだが、父との楽しい思い出は無い。
 その後、父は生死をさまよう病気をきっかけに人が変わった。酒浸りだったことも父は自分のせいだと感じていた。しかしアルコール依存症という病気や、私たちへの接し方が分からなかったのは、祖父との関係が影響していたと分かるし、自分を卑下することはないと今では思う。
 兵隊として人格形成された祖父の影響が、父を超え孫の私まで影響を与え、終戦して71年たった今でも3世代にわたり影響を与えていることはとても恐ろしい。しかし、そこに気付いてバラバラだった家族が修復しつつある。親になった今、私ができることは、自分の子どもの世代にこの連鎖をつなげないことだと思う。
(玉城真 うえのいだ主宰、珊瑚舎スコーレ美術講師)