<南風>心に溶ける飴ぐゎー


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 先日、真和志高校50周年式典・祝賀会に参加し感激した。特に、生徒による書道や生歌スライドショー、全国2位となった高校生手話パフォーマンスは、一人一人が自分の言葉と感性を放ち、伝わってくるものがあった。他にも、文化面、スポーツ面でも個性を伸ばした活躍を目にする。

 どこの学校でもそうだが、その個性が学校でいう問題行動に作用し出席停止になる生徒もいる。私たちの繁多川公民館は毎年、真和志高校と連携し、出停中の生徒の社会奉仕活動(1週間)を受け入れている。

 ある時、奉仕活動を終え、学校に戻った生徒の件で教頭先生から電話があった。「公民館では、何をしたのですか。向こうから挨拶(あいさつ)してきました」。普段は、目も合わさずコミュニケーションがとりづらい生徒であったとのこと。公民館では、特別なプログラムはない。多くの生徒が3日目あたりで、目に力が入り、次に何をすべきか考え行動をする。

 心当たりが一つだけある。業務は、花壇の整理や部屋の清掃、地域活動の補助だが、そこに地域の方や公民館利用者が声をかける。時には「お疲れさま。ありがとう。飴(あめ)ぐゎー食べなさい」といってバッグに手を入れる。これがジワジワと効いて生徒の中で何かのスイッチが入るのだと思う。

 公民館ではさまざまな人の出入りが当たり前である。出停中というレッテルを貼られず、自分のやった仕事で誰かが喜び、認められる場がたくさんある。

 異なる価値観や環境で育ってきた生徒たち、必ずしも学校や企業が求める人物像でないだろう。しかし地域の包容力は大きいのだ。またそういった多様性を認める地域文化は皆で育むものだ。今日もどこかでバッグの飴ぐゎーは、誰かの心に溶けて自分を認め、自己実現への力を後押ししているに違いない。
(南 信乃介、NPO法人1万人井戸端会議代表理事)