<南風>今帰仁「あるある」?


社会
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 那覇から今帰仁に来て24年。同じウチナーンチュなのですが、これまでたくさんのカルチャーショックを受けました。

 まずは小学校の入学祝い。入学式の夜、うちに誰が来るのか、何人来るのか、全く分かりません。職場や地域など、来そうな人を数えたら、うちの場合は約60人でした。多めに勘定して80人の中味のおつゆ、刺し身の味噌和(みそあ)え、ミヌダルなどを準備しました。全ての片づけが終わったとき、高校の入学まであと8年はあることに、心から感謝しました。

 小学校に入ると、校歌ダンスがありました。私の通った那覇市の与儀小学校にはなかったので、新鮮な驚き。保護者の飲み会のとき、締めは箸を両手に持ち、輪になって校歌ダンスです。校区ラブに感動しました。

 子どもが学校から持ち込んでくる言葉も面白いです。消しゴムはケに、校長先生はチョーにアクセントが来るのです。これは今帰仁というより今泊かな。

 公民館放送にも、那覇では聞けない地域色があります。ピンポンパンポーン♪「本日は旧暦5月15日のフプ御願(うがん)です。午後3時よりサカンケー(拝所)で花米を配りますので、区民の皆さんはお集まり下さい」。私も早く花米もらおっと!

 古宇利島の神人のおばあが海水で足を濡(ぬ)らしたとき「清められたねえ」と言うので、「なぜ浜下りのとき女だけ清めて、男は清めないの」と聞いたら、「はっさ、男のケガレは海の水では落ちんのに」。神人おばあが夫婦の歴史から得た知恵の何と深いことよ。

 聞き取り調査に行ったら山のように天ぷらを出してくれるうちのカレンダーに、手書きの貼り紙を見つけました。「ふるさとは、おばあの家のおもてなし」

 今帰仁でのカルチャーショックに、ときどき温かい涙がこぼれます。
(石野裕子、今帰仁村歴史文化センター館長)