<南風>情報集めに四苦八苦


社会
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 「おきなわJOHO」が創刊されたころ、とにかく情報を集めるのに苦労した。

 例えば、デパートやホテルの中にはイベント情報の掲載をかたくなに拒むところもあり、その理由が「自分たちのイベントが他社に漏れて、先に類似のイベントが行われたらどうするの」ということだった。若い担当者は喜んで情報を教えてくれたが、オジさん担当者のほとんどは情報を広げるより、情報が漏れるのを嫌がっていた。

 しかし、ライブハウスやイベント会社は多くの人を呼ぶため、積極的にコンサート情報を教えてくれた。

 大変だったのが飲食店。今では当たり前に電話で取材依頼を行うが、当時は電話での依頼はほとんど断られた。雑誌の知名度の低さもあったが、それよりも店の人が顔の見えない電話での取材依頼を信じていなかったからである。そのため、取材するときは店主に直接会って雑誌の説明と掲載する意義など、店主の説得に努めた。

 他にも雑誌掲載を断る大きな理由があった。その頃の沖縄の老舗レストランや食堂、喫茶店などは、復帰直後に本土の週刊誌やガイドブックから何気なく取材を受け、後日、掲載された本と一緒に請求書が送られてきたのである。それもかなり法外な料金だったので、以来、トラウマとなって雑誌の掲載を嫌がるようになっていたのである。

 とはいえタウン情報誌としては、人気店や有名店は掲載したいので何度も通い、店主と仲良くなり取材をお願いした。それでも「タダとはいってもやっぱりお金がかかるんでしょう」と言われので、「ボクを信用してください」と頭を下げ取材したこともあった。

 そんなこんなでJOHOの掲載がタダだと知れ渡ると、いろいろな店から掲載以来が多くなり、JOHO以外の掲載無料の雑誌も増えていったのであった。
(嘉手川学 沖縄ふうどライター、沖縄泡盛新聞編集委員)