<南風>言い回しの源流を考える


社会
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 左党などは宴席が二晩続くと、「ユウビヌナーチャー(昨夜の明日)だから、きょうはきつい訳さ」とのたまいながら今夜の宴席に臨むのだが、「今夜」のことを「昨夜の明日」と言い回すのは、実に言い得て味な表現であるものよと、いたく感心する。

 モノの本を読むと、どうやらその言い回しは16世紀末から17世紀にかけて流行した室町歌謡にその源流があるようだ。わが国の歌謡は、古事記歌謡から始まり梁塵秘抄(りょうじんひしょう)などの平安歌謡を経て室町歌謡、さらには江戸歌謡と続く。

 1518年に編者未詳ながら編まれた室町歌謡の一つである「閑吟(かんぎん)集」にその源流が見て取れる。これは、全一巻・小唄や猿楽など当時の歌謡311首を収めていると小学館大辞泉にある。

 あまつさえ、簡潔な表現の中にルネサンス的な含蓄があると詩人の大岡信さんはおっしゃる。

 ユウビヌナーチャーの源流と思われる言い回しがこれだ。「ただ人は情けあれ夢の夢の夢 昨日(きのふ)は今日(けふ)の古(いにしえ) きょうは明日の昔」。ワォーとしか言いようのないすごい表現だ。

 わずか3行ながら簡潔な表現に浮かび上がる透明なニヒリズム。昨日・今日・明日という時間の連続性と、視点を三者のいずれかに置き換えて見えてくる時間の特性と人生のうつろい。常に遠のいていく時間の特性は、去りゆく風景(過去)への哀惜と不確定な未来(明日)への不安にその磁場を変えるのだが、これらをひっくるめて「ただ情けあれ」と言い励ますのが詩人のおっしゃるルネサンス的な含蓄か。

 「古しへ」と「昔」の対比も鮮やかだ。前者は大和言葉で「去った方向」を意味し、後者は中国から伝わった文字でもともと乾肉を意味していたらしい。これらの言い回し、感性が似ていると思いませんか。
(渡具知辰彦、県交通安全協会連合会専務理事)