<南風>ピートゥドーイ


社会
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 我が国のイルカ漁の歴史は古く、縄文遺跡の千葉県稲原貝塚で黒曜石の銛(もり)がイルカの骨に刺さっているのが発見されたり、石川県真協貝塚や鎌倉市由比ガ浜でも大量のイルカの骨が見つかっている。今でこそイルカは「海豚」と書くが、古代は「入鹿」と当て字したのは鹿が食用獣だったからに他ならない。つまり、イルカは古来からの食文化そのものだった。

 名護のピートゥ漁は明治中頃から開始されたと沖縄群島水産誌にある。以来、名護では1989年3月2日のピートゥ漁までの間、漁師が沖合からピートゥ(コビレゴンドウやマゴンドウ)を名護湾海岸に追い込み、市民総出型の漁が風物詩となっていた。これは、沖合は漁師、イノーは一般市民のテリトリーとの不文律があったので、追い込みスタイルは双方が協力する体制になったとも言われている。

 筆者も中学生当時、「ピートゥドーイ」の鐘の音を聞きつけて海岸に走ったものだ。イルカを浜辺で解体するので辺り一面真っ赤となり、独特の匂いに誘われた銀蝿が宙を舞い名護人は興奮して舞い上がったものだ。

 鯨食文化に対して、欧米は反捕鯨の立場から目くじらを立てて難癖をつけるのだが、腑に落ちない。そもそもペリー提督の黒船による開国要求も、捕鯨船の補給基地設置のためだった。換言すれば鯨を捕り尽くし絶滅の危機に追いやったのはあなた方でしょということだ。人気テレビドラマの「フリッパー」を作ったり、ギリシャ神話の王者ゼウスの息子アポロンの忠実な従者がイルカだったりと、イルカに並々ならぬ情愛を抱くのは結構なことだが、その価値観を日本人に強要するとなると食文化の伝統があるだけに、辛いものがあり、ついつい愚痴の一つも言いたくなる。「やい、ゲイは良くて鯨(げい)がいけないのはなぜだ」(渡具知辰彦、県交通安全協会連合会専務理事)