コラム「南風」 医療ケア児と「学校」


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 医療が進歩し、福祉の制度が整ってきたおかげで、病院や施設の中でしか過ごせなかった子どもたちが、家族と共に過ごしていける時代になった。そして先輩たちや支援者の頑張りが「地域で暮らす」という、在宅支援につなげてくれている。それでも家族にとって「在宅」の負担はまだまだ大きい。特に教育では、医療的ケアを必要とする子どもの命を重視する学校側と、子どもの心に寄り添ってほしい保護者側で、意見が交差する。

 「学校」は、特に外との関係が小さくなりがちな重度の障がいがある子どもたちにとって「わくわくする世界」だと、親は思う。けれど、通学の希望がかなわず、「訪問学級」の道へ進む児童もいる。送迎車の窓から「学校」という場所を、じっーと見つめる子もいる。基本的に医療ケア児童は、学校に保護者が待機するか、ケアは保護者が行うこととされている。保護者の病気や疲労、他の事情などで付き添いや待機ができない場合は、子どもは欠席するしかない。医療ケア児だけに、さらに「異端児」になってしまう。私もわが娘が理解されるまで、たくさんの悔しい涙を流した。
 ケアそれ自体より、物品の管理や衛生材料費の負担、感染リスクなど、ケアを取り巻く環境を整えることが大変だ。そして保護者が親としての役割のほか、医者や看護師、介護・訓練士など、さまざまな役割を求められ、24時間、そのための知識や技術を身につけなければならない生活が不安で、しんどいのだ。
 医療ケア児の親になって多くのことを学んだ。ハードルは高かったけれど、いい人生の先生(娘)に出会えたから今がある。医療ケア児は、愛情をかける時間が少し多めに必要なだけ。そんな子どもたちと家族は願い続けている。普通の子どもたちと同じように「家族の中で暮らしたい」と。
(名幸啓子、障害児サポートハウスohana代表理事)