「今日行かないと家族に会えない」。名護市の小学5年生、玉城百恵佳さん(10)は曽祖母らの名前が刻まれた平和の礎を家族4人で訪ねた。父充博さん(58)と母恵理子さん(43)はコロナ禍での外出を控えようと「今年は家で手を合わせようか」と提案したが、百恵佳さんの言葉に後押しされ、今年も大切な日を礎の前で迎えた。
曽祖母マツさんは娘サチ子さんと入っていた屋我地島の防空壕で攻撃を受け、生き埋めになった。隣の防空壕にいて生き延びた祖父の肇さん(享年85)は翌日、壕を掘り起こして助けようとしたが、間に合わなかった。戦後、肇さんは沖縄戦について多くを語らず、一度だけ「親孝行できなかった」と号泣したという。
肇さんが4年前に亡くなった後も、玉城さん一家は毎年、慰霊の日に平和の礎を訪れた。
百恵佳さんと小6の兄佑真さん(11)さんは、祖母からも、畑の堀に飛び込んで空襲から逃れた体験を聞き、戦争の怖さや平和の尊さを学んでいる。「戦争を体験した人は少なくなっているからこそ、たくさん話を聞いて、未来へ平和をつなぎたい」