「反基地運動にかけた生涯」 崎原盛秀さん死去に仲間ら惜しむ声


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬
崎原盛秀さん

 「自然保護と反基地運動にかけた生涯だった」「言葉と行動に一切の矛盾がない」。反CTS(石油備蓄基地)闘争をはじめ多くの住民運動の第一線に立ち続けた崎原盛秀さんの訃報を受け、関係者に悲しみと別れを惜しむ声が広がっている。 

埋め立て竣工認可阻止を訴えてハンスト闘争を続ける「金武湾を守る会」=1975年10月6日、旧県庁構内(山城博明撮影)

 反CTS闘争で崎原さんらが立ち上げた「金武湾を守る会」の顧問弁護団の一人、池宮城紀夫弁護士(80)は「50年以上共に闘い続けた同志だった。非常にショックを受けている」と語る。揺るぎのない信念を持ち、数々の住民運動に関わったことに触れ、「先頭に立って権力に立ち向かう、正義感にあふれた人だった」と敬意を表した。

 崎原さんの生涯をまとめた「一人びとりが代表―崎原盛秀の戦後史をたどる」の著者、上原こずえさん(39)は、ことし2月に崎原さんと連絡を取ったことを振り返り、「その時も沖縄が軍事列島となり『生存の危機』にひんしていると危惧していた。諦めたら終わりだと運動の必要性を訴えていた。課題を受け取った気がする」とかみしめるように語った。

 50年以上親交があり、「辺野古新基地建設を許さない市民共同行動」の共同代表を共に務めた伊波義安さん(78)=うるま市=は「沖縄の市民運動をリードしてきた非常に貴重な存在だった。心にぽっかり穴があいた気持ちでいる」と惜しんだ。