在沖米軍基地問題 照屋勇賢さんに聞く


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辺野古、単純に反対
沖縄の運動 文化遺産へ

 戦闘機、パラシュートで降下する兵士、オスプレイ、ジュゴンなどを美しい模様に盛り込んだ紅型作品などで知られる照屋勇賢氏。ニューヨークを拠点に活躍する沖縄出身の気鋭のアーティストが、ジャーナリストの高嶺朝太氏のインタビューを受け、米軍基地問題について、自らの姿勢や提言を語った。

ニューヨークのスタジオでの照屋勇賢さん。後ろの作品は「結い、You-I」(麻に紅型染め、2004年)=11月9日(高嶺朝太撮影)

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 ―辺野古新基地建設に対しての立ち位置は?
 「単純に反対している。米国に17年以上住み、沖縄の米軍基地問題をテーマにした作品で、美術展に呼んでもらえるようになった。しかし、この問題をどのようにして米国人が共有できるようにするのかが大きなテーマだ。美術という形式がそのテーマを伝えるのに適していると思う。ヨーロッパや米国の美術館に基地問題をテーマにした作品を展示してもらうことで、沖縄の抗議運動を文化遺産にする」
 ―米軍基地問題についてニューヨークで活動するウチナーンチュとしての提言を。
 「米国人も人種問題などのさまざまな問題に苦しみディベートしている。2011年に起こった『ウォールストリートを占拠せよ』運動などに代表されるように、米国でも市民一人一人が試行錯誤している。在沖米軍基地の維持費は日本国民が負担していることを示すため、『Tax(税金)』『You owe us electricity(君らの電気料金はわれわれが支払っている)』などのサインボードを基地の人々に示して、米兵たちに、どうして自分たちが反対されているのかを伝えるのも一つの方法ではないか。税金など共通の話題から、沖縄の負担や彼らの負担について意見交換したい」
 ―ことし7月に辺野古のゲート前や高江での座り込みにも参加した。
 「抗議の方法に関して自分の中でいろいろなアイデアがあるが、いざ辺野古や高江の現場に行くと、実行できない自分に歯がゆさを感じる時がある。ビジョンが弱いのか、コミットメントができていないのか。座り込みをしている人々とのコミュニケーションが取れていない。沖縄に戻って現場に通っても、消化不良のまま米国に帰ることになることも多い」
 「座り込みの現場での関係性を築きながらも、いかに距離を保ち、自分なりの抗議活動のアイデアを遂行することができるかが課題だ。アートプロジェクトを通して基地問題を浮き彫りにするのは効果的だ。アートは米軍基地の人々に受け入れられやすい」
 「高江や辺野古で座り込みしていると、軍関係者の車やフェンス内から一方的に写真を撮られたりして、米国に無事に帰れるかどうか不安になった。自然保護運動をしていた母親の助言で、ちゃんと状況を説明できて法律などで理論武装できていれば問題ない、と考えるようになった。そのためには、法律の知識を勉強して自分の権利を学ぶことが必要だ。米国の学者が言っていたが、憲法は、認識して正確にしゃべることができて初めて存在していると言える。勉強しないと権利は守れない。そのためには討論などが役に立つと思う。楽しく興味を持って、分かりやすく討論して、政治についての知識を深める。沖縄は、それをできる一番良い環境にあると思う」
 「ヨーロッパの抗議方法はスタイリッシュだ。抗議をする際にスタイルを武器にするのは難しくない。うまく海外の沖縄県人と県内の人々で連携できれば良いと思う」
 ―世界で活躍したい沖縄の若者への助言を。
 「自分の才能を信じる気持ちがあれば十分だ。出身の地域で何かみんなに評価されるものを持っていれば、ここ(米国)でも通用する。学校で認められなくても、逆らう力があれば本物だ。認められない環境やタイミングが続いても、自分のやりたい気持ち、才能を信じている気持ちを無視しないでほしい。自分を褒めてくれる人々がいる一方で、逆の人々がいた時期があった。僕は『できるはず』という気持ちを信じて、ここまで来ている。米国での暮らしも楽ではない。自分を信じ続けないと、今までの努力に対して失礼な気がする」
 「芸術の分野は、ユニークな力が発揮できるチャンスがある。一般の社会人とは違った努力が必要である。アーティストとして、自分のスケジュールを管理し、他人を感動させる作品を作るのが大事だ」

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 てるや・ゆうけん 1973年南風原町生まれ。多摩美術大卒。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ修士課程修了後、ニューヨークを拠点に活動。

 たかみね・ちょうた 1978年那覇市生まれ。私立サンフランシスコ大学卒(メディアスタディー)。翻訳者、ジャーナリスト。