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<メディア時評・新聞の軽減税率適用>政治との距離に疑念 当事者による理屈説明を


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 憲法改正の是非を決する年が来た。大災害等に対応するための緊急事態条項の追加のみが予定されているといわれているが、それが「お試し改憲」と称されるように、すぐ後ろに9条ほか主要条文の抜本的変更という「本丸」が控えていることは疑いようがない。すでに公表されている自民党改憲案からすると、「戦後」70年維持してきた平等・平和・人権の基本理念を大きく変えるものになる。

 そしてその始まりは今月の宜野湾市長選挙だ。なぜなら今日において、中央政府が意図的に見えないふりをしているのが沖縄と福島の県民にほかならず、基地と原発が問うているのは、先に挙げた憲法理念そのものだからだ。そしてこれは、そのまま憲法と直結する。こうした状況の中で、ジャーナリズムのありようがより一層大切になるだろう。その意味で、年末に大枠が決まったとされる消費税軽減税率について、与党合意で宅配の新聞が対象とされたことについて、いま一度きちんと整理しておく必要がある。

なぜ新聞だけなのか
 第1に、その目的が明確かどうかである。なぜいま新聞だけに軽減税率を適用するのかが見えてこない。
 もし、欧米とりわけ英国の基本思想にある通り、「知識への課税」は行わないのであれば、ゼロ税率にすべきであるし、消費税導入時から適用していなくてはならない。税率が高くなったから軽減をするという道理ではないからだ。
 もちろん、英国で定期発行物に印紙税をかけた王政への反対が起源であることから、歴史的に見ていわゆる新聞が中心であることは認められる。しかしその後の理論的発展をたどるなら、広く知識・文化一般に対する免税措置が取られるのが道理であって、宅配新聞だけを認め、スタンドで売られる新聞をはじめ、その他の出版物が総じて入らない理由は見当たらない。
 さらに言えば、放送視聴料、演劇などの芸術一般に対しても、検討した痕跡すらないのは、最初からこうした発想がゼロであったことのあかしであろう。
 では「米(こめ)論議」ではどうだろうか。いわば水や米と同様の生活必需品だから少しでも負担を少なくすべし、との理屈である。まさに食料品における逆進性緩和のための軽減税率適用を、知識・文化商品まで拡大するかどうかということになる。これについて言えば、日本の場合は選挙期間中の新聞に掲載される選挙広告にみられるように、全国に広く行き渡っている商品特性を前提とした社会制度が存在する。あるいはアクセス平等性を担保するための再販売価格維持(再販)制度も堅持している。
 すなわち、日本の場合は誰もが入手可能なマスメディア環境を維持・形成してきたわけで、そうした制度上の保障の一環として、あるいはそれをよりサポートするものとして同じ対象品目を軽減対象にすることは道理が通りやすい。具体的には、一般日刊紙、地上波等の放送、雑誌・書籍、音楽用レコードである。
 にもかかわらず、この点においても今回は対象品目をその一部に限定しており、こうした理屈が立ちづらい状況にある。

「文化」の維持は?
 そのほかに、より間接的あるいは抽象的になるが「文化」の維持という考え方もありうる。今回は出版界がこうした論理立てで適用要求していたわけであるが、価格が上昇すれば当該商品を購入する人が減り、それは書店の経営を直撃し、ただでさえ急激な減少傾向を示す地方の書店に壊滅的な悪影響を与えるだろうというものだ。同様に、出版社も売り上げが落ちれば(しかも高額本にその影響が及びやすいとすれば)、特に専門書・学術書出版社は大きな痛手を被る可能性があるというものだ。もちろん、新聞についても購読停止の引き金になることが、過去の消費税導入・引き上げ時の経験から明らかであり、強い危機感があるのは同じだ。
 しかし、こうした文化論議がどこまであったかはうかがい知れないところだ。わずかに、出版に対しいわゆる有害図書を排除するという話が出ていることからすると、「文化」的なるものについての、ある種の思いはあるのかもしれない。しかしここでも、少なくとも新聞のみに「文化」を認めるということにはなりえないだろう。

擬似検閲制度誕生も
 第2には、ひも付きになることの危険性である。これには二つの意味があり、第1は、直前に触れた対象品目の線引き問題である。「良い本は認めるが悪い本は認めない」という発想は、コンテンツに踏み込んだ表現物の峻別(しゅんべつ)であり、重大な一線を踏み越えることになる。法制度上明示されたり、その内容審査を政府機関もしくは政府が関与する外郭団体が行うことになる可能性を否定できない。すでにインターネットでは「共同規制」という考え方のもと、警察庁が深く関与したコンテンツ規制を実施している。同じことをリアル社会にも広げることの善しあしは、慎重の上にも慎重を期す必要がある。単純に考えれば、すでに教科書検定で実施されている行政による疑似検閲が、制度上誕生することになるからだ。
 そしてもう一つは、政治とジャーナリズムの距離の問題である。なぜ新聞だけが認められるのかについて、巷間(こうかん)では政権との貸し借り論があふれている。実際にそのようなことはないと信じたいが、そうした疑いを持たれること自体、ジャーナリズムとしては失格である。それは即、信頼の喪失につながるからだ。
 こうした疑念を持たれないためにも、なぜ軽減税率の対象になったのかを、メディア自身が「調査報道」によって明らかにし、きちんと理屈を立てる必要があるだろう。
(山田健太、専修大学教授・言論法)