<未来に伝える沖縄戦>食糧なく生き地獄味わう 田中英治さん(80)〈下〉


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 《米軍が本部町八重岳を占領した1945年4月17日ごろ、田中英治さん(80)は、米兵の指示に従い、家族と共に伊野波のウシヌスルガマから出ました。しかし父親の姿が見えませんでした。》

 父がいなくなり不安な中で、母と弟たちと一緒に米軍と隊列を組んで伊野波の山を下りました。本部町東にコンリヤマと言う所があり、そこの空き家に移動しました。山を下りるときに米兵がチョコレートを渡そうとしました。米兵が食べて見せて、食べてみたら本当に命薬。おいしかったです。食糧は真部山の日本軍の陣地にあった乾パンや米を拾ってきて食べていました。1カ月近くそこにいました。

 《4月中旬、伊江島では米軍との戦闘が続いており、伊江島に停泊する米軍の艦船に攻撃する特攻隊の飛行機に米軍が大砲を撃っていました。》

 特攻隊を狙う米軍の流れ弾が雨あられのように降ってくる。近くの壕に入ってやむまで待ちました。高いところを飛ぶ特攻隊の飛行機が、ウーッととても悲しい音に聞こえました。

※続きは4月24日付紙面をご覧ください。

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