<沖縄戦後思想史から問う「県外移設」論>中 仲里効


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包摂的排除」の狡知/疎外される主観的意図

遺族が刻銘を拒否することもあり、朝鮮半島出身者のために確保された刻銘場所には大きな空白が残る=糸満市摩文仁「平和の礎」

 沖縄が植民地主義と決別するには、二重の作業を要請される。そのために沖縄に働く差別と抑圧、統合の政治がいかなるものであったかが明らかにされなければならないだろう。ここでは高橋哲哉氏もその象徴性に注目していた「天皇メッセージ」を取り上げて考えてみたい。なぜなら、その象徴性をどう認識するかは日本国家の沖縄支配の構造と、沖縄における脱植民地化への道とけっして無関係ではないからである。

残存主権と擬制

 「天皇メッセージ」とは、1947年9月に昭和天皇が側近を通してマッカーサーとアメリカ政府へ、沖縄と南西諸島を「25年ないし50年ないしそれ以上」アメリカが軍事占領し続けることを希望し、そのことは「米国の利益になり、また日本を守ることにもなる」としたメッセージである。高橋氏が「熟慮したいのは」と注意を促し、「日本の安全保障のために米軍に頼り、その米軍の駐留先として沖縄を利用する構図が、この『天皇メッセージ』から今日の安保体制に至るまで貫かれているのではないか、ということだ」と指摘したように、その象徴性が何を意味するかは明らかである。追言すれば、すでにはじまっていた冷戦の力学を利用しつつ、国体護持と天皇の戦争責任を回避する意図が隠されていた。

 それ以上に注目したいのは、「米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借(……)という擬制に基づいてなされるべき」だとした「残存主権」と「擬制」である。とりわけ「残存主権」は沖縄統治(併合と分離と再併合)の要諦(ようてい)にかかわる鍵語とみてよい。「沖縄は日本の利益のために米国に差し出される」と高橋氏は言う。その通りである。しかし、沖縄をただ差し出すだけではない。重要なのは、差し出しつつ取り込むもう一つの力学が装填(そうてん)されていることにある。この力学を〈包摂的排除〉と呼んでみる。

侵犯された境界

 問題なのは、〈包摂的排除〉が支配の領分にとどまらず、沖縄の主体意識をもゆさぶったことにある。前回触れた沖縄(人)のなかに日本(人)が折り重なり、日本(人)のなかに沖縄(人)が流れ込む捩(ね)じり合いにかかわるからである。

 ここにおいては、アイデンティティとポジショナリティの関係も明快に区別してみせたようには自明ではない。「『県外移設論』が問題にしているのは、そうした『日本人』のアイデンティティとは区別される『日本人』のポジショナリティであり、『沖縄人』に対して基地を押しつけてきた差別者としてのポジショナリティである」としても、そのポジショナリティにおいてすでに「日本人」と「沖縄人」が前提にされているわけで、「日本人」と「沖縄人」の境界は沖縄の近現代史のなかで内と外から侵犯されていることの“汚れ”と“雑音”に目を瞑(つむ)ることはできない。“汚れ”と“雑音”を一方向に純粋化し、たった一つのものとするのではなく、いや、たった一つのものではあってもそれは私のものではない位相をもはや無視し得ないだろう。いま、こうして書いている言語(日本語)にしてからがそうである。

 〈包摂的排除(排除的包摂)〉という視座から沖縄の戦後史を振り返ってみると、72年の「日本復帰」を境にしてそれ以前と以後が反転し合わせ鏡の関係になる。アメリカ支配下の27年間は沖縄を排除しつつ包摂し、「復帰」後は包摂しつつ排除していった。

ダッチロール

 かつて私は野村浩也氏の『無意識の植民地主義』の書評(沖縄タイムス、2005年6月25日)で「『終わらない植民地主義』への容赦のない批判的精通」であり、「沖縄の言説史に太い句読点を打つ一書になる」と評価しつつも、「イャームンヤワームンを身上とする〈グラフト(接ぎ木)国家〉に、したたかマチうたれてきたダダ的吃音(きつおん)からみれば、繰り返し主張される『日本に米軍基地を持ち帰ってほしい』という『負担平等』の回路は、ダッチロールを招きかねない」と疑義を呈したことがある。

 ここには沖縄の主張をあたかもそれが自分のものであったかのように接ぎ木し、消去する〈グラフト国家〉としての日本の、排除しつつ包摂(包摂しつつ排除)する支配の狡知(こうち)につねに意識的であるべきことと、「日本に米軍基地を持ち帰ってほしい」と反復する主張が日米の軍事再編に横領されかねない危惧を表明したものである。

 「ダッチロール」といういささかスキャンダラスな物言いは、「負担平等」や差別解消の陥穽を呑(の)み込む〈グラフト国家〉の抱き取りに対する要注意のシグナルのつもりだった。「ダダ的吃音」とは沖縄の言葉を発する口を封じられ、均質な国民に作り変えられた世代が二重の植民地主義から脱しようとして立てる軋(きし)みであり、痛みでもある。

 野村浩也氏の『無意識の植民地主義』へ抱いた違和と危惧は、高橋哲哉氏の『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』においてもけっして解消されることはない。暴力装置としての基地(と軍隊)を「持ち帰れ-引き取る」ことにおいて目指される「平等」は、その主観的な意図を疎外して国家と資本のヘゲモニーの内へと連れ込まれていく。

(仲里効、映像批評家)

(2016年1月21日 琉球新報掲載)