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<メディア時評・実名報道再考>事件報道見直す契機 メディア不信克服のため


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 いずこも同じということか。先月、ドイツを代表する新聞社を訪問したが、新聞界最大の課題は新聞離れ。ただし大衆紙ビルトを擁するアクセル・シュプリンガー社は、リング(輪)と呼ぶ中央のデスク席の四方に、紙、デジタル、モバイル端末向け、SNSサービス向けの編集部を配し、24時間切れ目なくニュース発信を行う体制を構築していた。4部門トータルの毎日のアクセス数が人口の過半に達し、これがどのSNSサイトよりも閲覧数が多いというのが自慢だ。

「嘘つきプレス」

 そしてもう一つの課題はメディア不信。ドイツ国内で「嘘(うそ)つきプレス」という言葉が市民権を得ており、それが最近の難民報道などでも、建前しか語らない大手メディアに対する批判として幅を利かしている。これも、既存政党に伍(ご)す議席を獲得するに至っている右翼政党の伸長を手助けしている要因の1つという。メディア監視サイトのビルトブログ(www.bildblog.de)編集者も、単に批判をすると「記事は嘘」と理解されて、新聞不要論につながってしまうので、最近は「情報は間違っているが」と但(ただ)し書きを付けてメディアを守っていると苦笑していた。
 ドイツは戦後60年にわたって、人権侵害等の苦情対応機関としての新聞評議会が存在する国だ。どこに行っても「牙のない虎」と強制力がないさまを揶揄(やゆ)される存在ではあったが、報道倫理綱領を制定し、メディアが自主的な取り組みによって毅然(きぜん)とした姿勢を示し続ける姿勢は清々(すがすが)しく映った。
 そこでも最近の議論を呼んだ事例として語られたのが、昨15年に起きた副操縦士が故意に墜落させたとされるドイツ航空機・ジャーマンウイング墜落事故の氏名扱いだった。ドイツでは人権配慮から容疑者は原則匿名報道であるが、重大事件であることから実名・顔写真報道をする社があり、報道評議会の譴責(けんせき)を受けるなどした。

被害者の意向尊重

 日本では加害者・被害者ともに実名報道が基本だ。その背景には法的な裏付けが存在する。名誉毀損(きそん)罪の特例を定めた刑法230条の2の解釈として、警察が公式発表した容疑者は公共性を有し、報道等によって形式的には社会的評価の低下があっても罪には問わないとしている。この結果、新聞やテレビは(そしてそれを受けて個人のブログ等も)、いわば安心して氏名や顔写真を含む個人情報を晒(さら)し、場合によっては犯人視につながりかねない情報も含め、報道することができるわけだ。こうして、いったん明らかになった事件・事故は、公権力のお墨付きをもらって「公共の関心事」となるがために、その被害者もプライバシーが制約されると考えてきた節がある。
 ただし被害者に関しては、犯罪被害者等基本計画が約10年前に制定され、氏名の公表を含め被害者の意向を尊重することが決まった。当時の報道界の申し入れの結果、警察発表は従来通り実名発表することが確認されたものの、犯罪被害者支援室のもと警察OB等が中心になったケア組織が当事者を守る形をとることもあって、当初よりメディアの取材攻勢を防御する姿勢が強かった。さらに今回の相模原事件のように、被害者家族にそれぞれ担当弁護士がつき、当事者への直接取材を全面的にシャットアウトするような事態も生まれてきている。
 こうした状況の中で報道機関は実名報道の根拠として主に、実態を掘り下げるための事実報道の必要性、氏名や写真を出すことによる社会全体での悲惨さの共有、記録性を挙げてきた。一方で、少年法や刑法に基づく責任能力の有無、性犯罪や精神疾患、さらには死傷場所や理由といった当事者への人権配慮、場合によっては家族や関係者保護といった理由から、特定を避けるなど、悩みながら報道をしてきたということになる。社会の受け止め方も、大きな流れとしてはプライバシー意識の高まりなどから、匿名志向が進んでいる印象があるが、東日本大震災などの自然災害においてはむしろ、被害者の実名報道が推奨されている状況も存在する。
 そうなると、むしろ大きな影響はメディアの社会的役割の変化ともいえるだろう。すなわち、氏名の有無より、大手メディアが被害者宅に押し掛け、当然のように実名報道をすることに対する違和感ということだ。厳しく言えば、そうした役割を認められていない、ということになる。加えて、メディアの多様化に伴い記者会見のオープン化が進む中、会見における発表と報道は別、との言い分が通りづらくなっている環境もある。そうなるとますます、報道機関の自律的な判断に任せるのは心配だから、氏名等を公表するかどうかは警察の判断に委ねようということになる。これは昨今の放送番組批判でも見られた、メディア不信と、その裏で急速に進む公権力への強い期待感(判断権限の移譲傾向)に重なるものだ。

ドイツの実践例

 したがって、警察に対しては従来の取り決めに基づき実名発表することを強く求め続けることは必要だが、その根底にある当事者を含め市民のメディア信頼性の低下を克服しなくては、問題は解決しないだろう。そのためには、容疑者も含めた事件報道のあり方を、業界を挙げて根本的に見直す契機にあるのではないか。家族への配慮を優先しての「名は実名・姓はイニシャル」との表記、報道評議会という業界挙げての苦情対応組織の運営など、ドイツの実践例は日本における新たな選択肢を考えるきっかけになりえよう。
 呼び捨てから容疑者呼称への報道変更から30年弱、集団的過熱取材(メディアスクラム)対応を始めてからも15年。報道界は、社会の変化にせめて追いつく必要がある。
(山田健太 専修大学教授・言論法)