社会
在沖米軍基地の県外移設を巡る議論

<基地「引き取り」論の射程 仲里効氏に答える>中 高橋哲哉

思想本来の責任とは 戦争「絶対否定」への漸近


6月19日の「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」でプラカードを掲げる参加者=那覇市の奥武山陸上競技場

 仲里効氏は「基地引き取り」論を「二段階改良主義」(「体制内差別解消」)だとして批判し、「沖縄が生きのびていくための原理」は「安保条約の廃棄と日本の軍事力の完全解消」にしかないと主張する。「基地引き取り」の後に安保解消をめざすと言っても、基地を引き取る段階で安保を容認することになるから賛成できない、と言う論者や運動家は「本土」にも少なくない(もっとも、これは世論全体の1割前後、昨年の共同通信「戦後70年全国世論調査」ではわずか2%にとどまる「安保解消」派の中での話である)。

安保体制の枠内

 しかし考えてみよう。もし現状で安保を前提することまで否定してしまったら、安保反対の者は、たとえば日米地位協定の改定を要求することもできなくなる。仲里氏は、「少女を凌辱(りょうじょく)する」ような米兵の犯罪を抑止するために地位協定の抜本改定を要求することにも、安保を容認するからとして反対するのだろうか。あるいは、1996年に沖縄県が日米両政府に提出した「基地返還アクションプログラム」はどうか。2015年までに沖縄の全米軍基地の「計画的かつ段階的」な返還をめざす(01年までに10、10年までに4、15年までに嘉手納基地を含めた17の基地を全て返還)という画期的な提案だった。仲里氏はこの案にも、安保体制内での「段階的改良主義」(「体制内差別解消」)だからといって反対したのだろうか。

 本年4月の女性暴行殺害事件を受けて、沖縄県議会は史上初めて「在沖米海兵隊の撤退」要求を決議し、6月19日の県民大会でも「海兵隊の撤退」要求が決議された。仲里氏はこれらにも、安保反対まで至っていないと言って反対するのだろうか。安保体制の枠内での選択を「段階的」や「体制内」の「改良主義」だとして否定するなら、辺野古新基地阻止のため、安保容認の翁長知事を先頭に安保の賛否を超えて政府と対峙(たいじ)する現在の「オール沖縄」の闘いも否定しなければならなくなる。日米政府が沖縄からの全基地撤去を決めたとしても、日米安保が存続し「本土」の基地が残るなら、全基地撤去にも反対しなければならなくなるだろう。

ハードルを越える

 思想と政治の話は別だ、とでも言うのだろうか。もちろん思想は政治と違い、原理的次元から政治を批判する役割を負う。しかし、「県外移設」と同じく「安保廃棄」も「日本の軍事力の解消」も政治である。多数の国民が支持し政治権力が長年維持してきた枠組みがあるところで、その彼方(かなた)の政治的目標に向かうには、“いま””ここ”に全てを賭けるだけではだめで、立ちふさがるハードルを一つ一つ粘り強く越えていかねばならない。思想の純粋性を追求するあまり、「一挙革命主義」しか認めないことで、不条理な現実を変えるという思想の使命からかえって遠ざかり、思想本来の責任を果たせなくなるおそれがある。

 仲里氏自身、「一挙革命主義」では済まないことを感じている節もある。氏が「基地引き取り」論に対置するもう一つの言葉「戦争の『絶対否定』」については、こう述べられているからだ。「(略)戦争の『絶対否定』は、戦後ゼロ年を生きる沖縄が召喚した『永遠平和のために』であり、またたとえ到達することが遠いにしても、絶えず現実に働きかけ現実を変える『統整的理念』(カント)だと言い換えることもできよう」

「統整的理念」とは

 カントの意味での「統整的理念」とは、私たちが経験できる世界(すなわち現実)の中には決してその対応物を見出(みいだ)すことはできないが、私たちの経験をそのつど全体性(目標)に向かって方向づけていく(統整していく)のに役立つ理念のことである。つまり仲里氏は、ここでカント的意味での理念を持ち出すことによって、「戦争の『絶対否定』」を、決して現実には実現できないが、私たちが徐々にその目標に向かって近づいていくべき状態と位置づけていることになる。

 「たとえ到達することが遠いにしても」という表現は、到達可能と考えているのか不可能と考えているのか曖昧だし、「戦争の『絶対否定』」の主語が沖縄なのか日本なのか世界なのかも曖昧である。それでも、それが一挙には到達できず徐々に(「段階的」に)近づいていくほかない「遠い」ものだというニュアンスは感じとれよう。

 一方、「安保廃棄」は到達不可能な理念ではない。日米両国間の条約は政治的決定によって解消できるのであり、現行安保条約第10条の手続きを踏めばよい。「日本の軍事力の解消」はより困難に思えるが、本来憲法9条の定めるところであり、実際に常備軍をもたない国々が存在することからも不可能とは言えない。つまり、「戦争の『絶対否定』」を「統整的理念」とすれば、「安保廃棄」も「日本の軍事力の解消」も、その目標に向かって近づいていくための諸「段階」であり、政治的諸決定なのである。

 「段階的改良主義」を否定するなら、安保体制下での地位協定改定、基地返還プログラム、海兵隊撤退などはもとより、「安保廃棄」や「日本の軍事力の解消」すら否定せざるをえなくなる。しかも「段階的改良主義」の否定は、仲里氏が「戦争の『絶対否定』」をカント的意味での「統整的理念」とすることと矛盾しているのである。



 高橋哲哉(たかはし・てつや) 1956年福島県生まれ。東京大学大学院教授。専門は哲学。著書に「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」「犠牲のシステム 福島・沖縄」「靖国問題」など多数。