校歌探訪 金武町立金武中学校


この記事を書いた人 上原 康司

 金武町役場近くの国道329号から東海岸向けに集落へと入ると、きれいな海岸線を眺める場所に金武町立金武中学校がある。1948年当時、米軍統治下にあり、米軍政府から学制改革六・三・三制の認可指令が出され、開校した。
 開校から10年がたった58年に校歌が制定された。作詞は国文学者の新屋敷幸繁、作曲は宜野座村出身の教育者、中山興真が手掛けた。戦後間もない混乱期の中、食糧増産と勤労精神を目的に「農業実習」と称した田植え、収穫などの作業も教育の一環で行われた。
 歌詞で「いざゆかん友/幸多き/われらの家は/五大州」という一節がある。沖縄で初めて海外移民をハワイに送り出した「海外移民の父」として知られる金武町出身の当山久三に象徴されるように、町民の目は海の向こうの大陸をしっかりと見据えていた。