戦前のビール瓶だった 沖縄・渡嘉敷 日本軍の避難壕跡に72年間


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 【渡嘉敷】渡嘉敷島の北端の北山(にしやま)(標高200メートル)の谷間に日本軍赤松隊の本部避難壕がある。沖縄戦開始の1945年3月27日から終戦まで使用していた。その壕の前にビールの空き瓶1本、切断された瓶1本が戦後72年間放置されている。この空き瓶が1900年代前半に製造されたとみられることが19日判明した。

「DAINIPPON」などの刻印があるビール瓶
渡嘉敷島北山の赤松隊本部豪(村指定戦争遺跡)

 ビール瓶には「Ltd・DAINIPPON BREWERY CO-TRADE◎MARK」の刻印と底には☆18☆のマークがある。このビール瓶は、以前から赤松隊避難壕前に放置されているのを、訪れた住民や観光客らが目撃していたが刻銘確認はされていなかった。

 渡嘉敷村には赤松嘉次隊長(大尉)率いる海上挺進隊第3戦隊(隊員104人、特攻艇100隻、120キロ爆雷210個保有)の秘密基地が渡嘉志久、阿波連両ビーチに設置された。秘匿壕に舟艇を隠し、戦闘配備に就いていたが出撃できず、米軍の侵攻から逃れ、北山に移動した。その時に隊員が飲んだビールではないかと思われる。

 今回の判明のきっかけは、1月14日の西日本新聞朝刊掲載の「軍人飲んだ?ビール瓶次々 戦時中、普賢岳山頂に極秘レーダー基地 1900年代前半か『DAINIPPON』の刻印」の見出しで掲載された記事。これを読んだ住民から、これと似たビール瓶を赤松隊壕で見たとの情報があった。

 記事は、長崎県雲仙普賢岳の山頂に太平洋戦争中に陸軍の「電探(レーダー)サイト跡地があり、ビール瓶はこの現場の土中から見つかったという。普賢岳のビール瓶を西日本新聞社がサッポロビール(東京)に確認したところ1906年札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の3社の合併でシェア7割を誇る「大日本麦酒」が発足し、49年に分割されたうち1社を引き継いだサッポロビール(東京)の「大日本麦酒」の瓶に間違いないことが分かった。

 普賢岳のビール瓶と赤松隊壕のビール瓶は似ていることから瓶の刻銘を確認すると写真の瓶と同様だった。半分に切断された瓶は「キリンビール」の刻印があった。

 新垣一典渡嘉敷村教育長は「このビール瓶は、当時を知る貴重なものなので、村民俗歴史資料館に展示する」と語った。

 渡嘉敷島でも戦後72年たった今までも当たり前のように各場所に戦争の遺品が未確認のまま数多く残されているものと思われ、その遺品がその当時を知る手掛かりになるのではないか。目を凝らして興味を示すことが必要と思われる。

(米田英明通信員)