「沖縄戦」の記事一覧
「命(ぬち)かじり生きる」祖父の戦争体験、伊江島の姉妹がつなぐ、歌で伝える 沖縄
南城市大里のあおぞら第2こども園で6月24日、同園とあおぞらこども園の5歳児クラスの園児、あおぞら学童クラブの小1~小4の児童、合わせて約80人を対象に平和学 ...
米統治 広報誌「守礼の光」から探る 古波蔵契さん、川崎で講演 周辺国の脅威あおり正当化
【神奈川】沖縄戦と戦後の米統治をテーマにした特別展(川崎市主催)が20日、川崎市平和館で始まった。8月25日まで。初日は明治学院大学社会学部の研究員、古波蔵契 ...
沖縄戦「始まる前にも多くの犠牲」 小学生が1944年のサイパン陥落、疎開学ぶ 対馬丸平和継承プログラム
太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸の悲劇を学ぶ「第3回対馬丸平和継承プログラム」(対馬丸記念会主催)の事前研修の2回目が21日、那覇市若狭の対 ...
教育関係者向け「沖縄戦学ぶフィールドワーク」 県が参加者募集 7、8月に開催
2024/07/18
#平和学習
沖縄県平和・地域外交推進課は7月24、25日と、8月22、23日に教育関係者を対象としたフィールドワークを那覇市、読谷村で開催する。県の沖縄平和啓発プロモーシ ...
校長から若手教諭に沖縄戦教材を“継承”「沖縄や皆、変わてぃ行ちゅる」住民の思い読んだ詩で授業
戦争体験者の減少に伴い、沖縄戦を学ぶ平和教育のあり方の模索が続く中、那覇市立神原小学校で、校長から若手教諭へ沖縄戦に関する教材の“継承”があった。教材は、県出 ...
日本兵が避難住民を虐殺 「語るため、生かされた」生存者の仲村さん、兵庫で語り部 沖縄・大宜味の渡野喜屋事件
大宜味村渡野喜屋(現・同村白浜)で1945年5月、日本兵が多数の避難住民らを虐殺した渡野喜屋事件の生存者が兵庫県尼崎市にいる。 生後3カ月だった仲村元一さん ...
沖縄戦「現場で追体験を」 南風原でシンポ、病院壕活用考える
1990年に全国で初めて南風原町が戦争遺跡を文化財として指定した沖縄陸軍病院南風原壕(ごう)(病院壕)の保存・活用に関する取り組みを振り返り、課題や目指すべき ...
悲惨な戦争を語り継ぐ決意 西原・坂田小 842人が平和集会 〈沖縄戦80年〉
【西原】西原町立坂田小学校(松川邦昭校長)は6月20日、体育館で842人の児童が平和集会を行い、読みあいネットワーク喜楽星(きらぼし)7(比嘉清美代表)による ...
平和祈り、戦没者追悼 フィリピン・ダバオ墓参団 5年ぶり訪問
太平洋戦争中にフィリピンで亡くなった家族らを供養する「第56回ダバオ慰霊と交流の旅墓参団」(主催・県ダバオ会)の一行は11日、フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市 ...
【寄稿】日米兵・民間人が見たサイパン戦(下) 「忘れえぬ」証言記録 同じ過ち繰り返さぬよう 吉永直登
『忘れえぬサイパン 1944』。本のタイトルはサイパン戦に巻き込まれた民間人、あるいは死闘を繰り広げた兵士の気持ちを最も短い言葉で表すとどうなるかと考え、頭に ...
「当事者として向き合って」 松元琉球新報専務 那覇高で沖縄戦・基地講演
那覇高校(福地修校長)は6月19日、同校で平和教育講演会を開いた。同校の卒業生で琉球新報社専務の松元剛氏が「ウチナーンチュの命の重さ―戦後79年 主権者として ...
【寄稿】エッセー・池宮城けい サイパン戦とカンパチ 癒えることなかった傷
多くの県出身移民が「集団自決」に追い込まれるなど、この世の「地獄」ともいわれる「サイパンの戦い」から奇跡的に生還した児童文学作家の池宮城けいさんが、エッセーを ...
【寄稿】日米兵・民間人が見たサイパン戦(上) 民間人巻き込む悲劇 沖縄戦で大規模に実践 吉永直登
サイパン島の在留邦人約1万人が犠牲となったサイパン戦の陥落(1944年)から7月7日で80年となった。ライフワークで「移民」や「戦前・戦中の南洋」の取材を続け ...
パラオ、空襲で兵糧攻め 「食べ物さえあれば」 母含む親戚5人、やせ細り餓死<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>下
栄養失調でやせ細った母親は、つえをついてジャングルの出入り口まで見送りに来た。今にも倒れそうな姿に後ろ髪をひかれながら、前田裕子さん(95)=那覇市=はパラオ ...
平和の大切さ歌舞劇で伝え 「月桃の花」川崎で公演
【神奈川】「月桃の花」歌舞団の新作ミュージカルが7日、川崎市平和館でプレミアム公演された。現代に生きづらさを感じる若者が戦時の沖縄にタイムスリップして見いだす ...
迫る戦火、妹たち次々犠牲に 「平和の時代では話せない」記憶、語り始める<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中の続き
父の遺体、海に流し… 思い返す光景、誰にも語れず テニアン艦砲射撃で追い詰められ<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中 戦前、国策企業・南洋興発のテニアン・ ...
父の遺体、海に流し… 思い返す光景、誰にも語れず テニアン艦砲射撃で追い詰められ<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中
「ニホンハマケマシタ ハヤク デテキテクダサイ」 1944年7月下旬、テニアン最南端のカロリナス岬付近。当時8歳の金城秀子さん(88)=那覇市=は逃げ込んだ壕 ...
「つらい思い二度と」 児童、対馬丸の悲劇学ぶ 体験者の声に決意 那覇・沖縄
太平洋戦争中の1944年8月22日、疎開する児童らを乗せ米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した対馬丸の悲劇を学ぶ「第3回対馬丸平和継承プログラム」の事前研修が6日 ...
12歳、汚物が混じった水飲み…少年が見た地獄 「兵隊は住民を守らず」 サイパン陥落80年
県出身の大勢の住民を巻き込む「共生共死」の戦いは、サイパンだけでなく隣接するテニアン、そして沖縄戦でも繰り返された。 日本は国際連盟を正式に脱退し、ワシント ...
【図解で分かる】「絶対国防圏」とは その後「捨て石」作戦、沖縄でも サイパン陥落80年
2024/07/07
#サイパン陥落80年
太平洋戦争で日米の激しい地上戦となった、旧南洋群島(北マリアナ諸島)のサイパンにおける日本軍の組織的戦闘の終結から7日で80年。日本は旧南洋群島を第1次世界大 ...
日本兵に壕を追い出され…母かばい銃弾浴びた兄 サイパン陥落きょう80年<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>上
2024/07/07
#サイパン陥落80年
自宅前を行進する日本軍に、深々とお辞儀をした。しかし、戦争が来るとは思っていなかった。サイパンに。空襲警報の音はこびりついている。 志喜屋正枝さん(87)と ...
日本兵「泣いたら撃つ」 餓えできょうだい3人力尽き サイパン<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>上の続き
1944年6月15日、サイパンに上陸した米軍と日本軍との激しい地上戦に住民が巻き込まれた。当時13歳の志茂美代子さん(93)=名護市大北=は、米軍の上陸地点チ ...
沖縄戦の実相「弱者の視点で想像して」 藤原さん、講演会で訴え 沖縄
沖縄戦の次代継承を探る講演会「沖縄戦の記憶継承の意義と課題」(小禄九条の会主催)が6日、那覇市高良の小禄南公民館で開かれた。本紙客員編集委員の藤原健さんが登壇 ...
平和の礎刻銘のネット検索「検討に値する」 デニー知事、要望に前向き
玉城デニー知事は5日の定例会見で、糸満市摩文仁の平和の礎の刻銘をインターネット上に公開してほしいとの要望があることについて「検討に値する」と述べ、前向きな姿勢 ...
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