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沖縄戦「始まる前にも多くの犠牲」 小学生が1944年のサイパン陥落、疎開学ぶ 対馬丸平和継承プログラム


沖縄戦「始まる前にも多くの犠牲」 小学生が1944年のサイパン陥落、疎開学ぶ 対馬丸平和継承プログラム 話し合いながら、沖縄戦に至る経緯の年表を完成させる児童ら=21日、那覇市若狭の対馬丸記念館
この記事を書いた人 Avatar photo 南 彰

 太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸の悲劇を学ぶ「第3回対馬丸平和継承プログラム」(対馬丸記念会主催)の事前研修の2回目が21日、那覇市若狭の対馬丸記念館であった。

 参加している県内の小学生らは、1944年のサイパン陥落と疎開を中心に、沖縄戦の前史を学んだ。

 この日は、3班に分かれ、満州事変からの出来事が書かれた短冊を並べて、沖縄戦の流れを理解する年表を作った。

 その後、サイパン戦の映像を見ながら、絶対国防圏の一角だったサイパン島が陥落した後に、政府が疎開を始めたことを学んだ。学芸員は「表向きは住民の命を守るためだったが、実際には軍の食糧を確保し、戦闘の足手まといになる住民を排除するためだった」と解説。「疎開をスムーズに進めるため」に、対馬丸が沈没したことを話せないようにするかん口令が敷かれたことも伝えた。

 参加者は太平洋戦争下に対馬丸以外にも沖縄関係者が乗った25隻が沈没したことを学び、その犠牲者を追悼している「海鳴りの像」を訪れ、黙とうをささげた。

 うるま市立与那城小学校5年の児童は、サイパン戦の映像が印象に残ったという。「自ら命を絶つ人もいてとても怖かっただろうと思う。沖縄戦が始まる前にも多くの犠牲があったことが分かった」と語った。

 (南彰)