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沖縄戦「現場で追体験を」 南風原でシンポ、病院壕活用考える


沖縄戦「現場で追体験を」 南風原でシンポ、病院壕活用考える 沖縄陸軍病院南風原壕や戦争遺跡の活用の可能性などを話し合う登壇者ら=14日、南風原町の町立中央公民館
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 1990年に全国で初めて南風原町が戦争遺跡を文化財として指定した沖縄陸軍病院南風原壕(ごう)(病院壕)の保存・活用に関する取り組みを振り返り、課題や目指すべき活動を考える「壕シンポジウム」が町立中央公民館で開かれた。

 関わってきた研究者らは「前例のない取り組みだった」と町の主体的な取り組みを評価。複数からなる壕群のうち、埋没している24号壕の整備公開や黄金森周辺の戦跡の保存活用を求める意見が相次いだ。町と一般財団法人自治総合センターの主催で、約150人が参加した。

 沖縄陸軍病院は1944年、沖縄戦を指揮する第32軍の陸軍病院として熊本で編成し、那覇市内で活動を始めた。10・10空襲後、南風原国民学校に拠点を移し、隣接する「黄金森」に横穴の壕を構築した。沖縄戦では軍医や看護婦らに加え、看護要員として沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒(ひめゆり学徒)も動員された。

 元沖縄国際大教授で、町文化財保護委員長を務める吉浜忍さんは「時間と労力をかけ」、病院壕の文化財指定と公開にこぎ着けた軌跡を振り返り、2007年の20号壕の一般公開で沖縄戦を追体験する平和学習が定着してきたと語った。

女子学徒らが負傷兵を看護した沖縄陸軍病院南風原壕

 19年に、三角兵舎の復元や20号壕向かいにある24号壕の整備公開、表示板の設置や多様な学びのプログラム新設などを提言したものの、「町から正式な回答はない」とし、取り組みを要望した。南風原の絣(かすり)や軽便鉄道爆発事故などとも関連させ、地域の歴史に視点を広げて学ぶ取り組みも提起した。

 国学院大教授で元南風原町文化財保護委員の池田栄史さんは24号壕について、95年に実測調査を行っており、鉄のフレームを入れて崩落しないようにすれば、公開は不可能ではないとの考えを示した。調査で確認された壕の位置が分からなくなっているとし、表示板も設置するなど、黄金森全体で学ぶための整備や活用が必要だと強調した。

 安房文化遺産フォーラム共同代表の池田恵美子さんは、千葉県の房総半島南部で戦争遺跡をまちづくりに取り入れ、「館山まるごと博物館」として、市民主体で活動する事例を紹介した。

 パネル討論では、戦争遺跡の保存と活用について意見を交わし、吉浜さんや池田さん、南風原平和ガイドの会の井出佳代子会長らは現場で追体験する重要性を指摘。池田さんは「記録保存ではなく現場を残すことがまずは大事だ。その上で映像やVR(仮想現実)を組み合わせることで二重三重の効果がある」と述べた。 

(中村万里子)