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中村 万里子
編集委員、統合編集局報道本部暮らし報道グループ執筆した記事
迫る戦火、妹たち次々犠牲に 「平和の時代では話せない」記憶、語り始める<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中の続き
父の遺体、海に流し… 思い返す光景、誰にも語れず テニアン艦砲射撃で追い詰められ<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中 戦前、国策企業・南洋興発のテニアン・ ...
父の遺体、海に流し… 思い返す光景、誰にも語れず テニアン艦砲射撃で追い詰められ<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>中
「ニホンハマケマシタ ハヤク デテキテクダサイ」 1944年7月下旬、テニアン最南端のカロリナス岬付近。当時8歳の金城秀子さん(88)=那覇市=は逃げ込んだ壕 ...
12歳、汚物が混じった水飲み…少年が見た地獄 「兵隊は住民を守らず」 サイパン陥落80年
県出身の大勢の住民を巻き込む「共生共死」の戦いは、サイパンだけでなく隣接するテニアン、そして沖縄戦でも繰り返された。 日本は国際連盟を正式に脱退し、ワシント ...
【図解で分かる】「絶対国防圏」とは その後「捨て石」作戦、沖縄でも サイパン陥落80年
2024/07/07
#サイパン陥落80年
太平洋戦争で日米の激しい地上戦となった、旧南洋群島(北マリアナ諸島)のサイパンにおける日本軍の組織的戦闘の終結から7日で80年。日本は旧南洋群島を第1次世界大 ...
日本兵に壕を追い出され…母かばい銃弾浴びた兄 サイパン陥落きょう80年<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>上
2024/07/07
#サイパン陥落80年
自宅前を行進する日本軍に、深々とお辞儀をした。しかし、戦争が来るとは思っていなかった。サイパンに。空襲警報の音はこびりついている。 志喜屋正枝さん(87)と ...
日本兵「泣いたら撃つ」 餓えできょうだい3人力尽き サイパン<強いられた防波堤ー南洋の戦い80年>上の続き
1944年6月15日、サイパンに上陸した米軍と日本軍との激しい地上戦に住民が巻き込まれた。当時13歳の志茂美代子さん(93)=名護市大北=は、米軍の上陸地点チ ...
中国人の捕虜殺害、慰安所通い…託された日記 日中戦争に出兵した父の「責任負う」 宜野湾で講演会 沖縄
2024/07/04
有料
「南京・沖縄をむすぶ会」は6月30日、父親が戦時中に中国に出兵した田中信幸さん(73)=熊本県在住=による講演会を宜野湾市で開いた。約50人が参加。田中さんの ...
長命草麺100袋寄贈 台湾支援で沖縄リラリズム
【那覇】台湾東部沖地震災害の被災者支援のため、県内離島の特産品を取り扱う沖縄リラリズム(那覇市)の安里仁代表は6月上旬、与那国産の長命草を練り込んだ乾麺「長寿 ...
軍事増強「心配」 金城さん、慰霊碑に涙 激戦のサイパンで家族5人失う 沖縄
サイパンで両親ときょうだい3人を亡くし、兄2人と孤児になった那覇市の金城千代子さん(82)は23日、今年も那覇市識名の南洋群島戦没者慰霊碑に手を合わせた。「み ...
「死ぬのは名誉」実態知らされず 教育、国に尽くす子を作る場に<国防が奪った 沖縄戦79年>2
1938年、那覇市の真和志小学校。3年の翁長安子さんが教師に聞いた。「あれ、なに?」。役場職員が白木の箱を抱え、立っていた。「兵隊さんがお骨になって帰って来た ...
食料不足とマラリアの“地獄” 犠牲次々、満杯の墓地 波照間島の住民「史実、決して忘れない」<国防が奪った 沖縄戦79年>1の続き
1945年、日本軍に疎開を強いられた波照間島の住民。8月に西表から波照間に戻って待っていたのは、食料不足とマラリアによる“地獄”だった。 疎開にあわせ、軍が ...
「日本のために犠牲になってくれ」 波照間島から住民をマラリアの死地へ 癒えぬ悲しみ、押し寄せる再軍備の波<国防が奪った 沖縄戦79年>1
2024/06/19
#“新しい戦前”にしない・沖縄戦79-80年
「勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは」 1944年当時、波照間国民学校1年の波照間シゲさん(86)は軍歌を高らかに歌い、集団で登校した。雨が降れば ...
激戦地土砂、新基地に使わないで 「慰霊の日」来県の首相らに要請へ ガマフヤー具志堅さん 沖縄
遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は、13日に県庁記者クラブで会見し、23日に来県する岸田文雄首相や関係閣僚らに対し、辺野古新基地の埋め立てに ...
【動画】学徒の思い 歌いつなぐ 首里高合唱部 「戦時」に自身重ね 「平和祈念の会」で披露へ 無念や命の尊さ伝える
慰霊の日を前に、沖縄戦に動員された県内21の師範学校・中学校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」は19日、那覇市首里の養秀会館で平和祈念の会を開く。県立首里高校 ...
市町村の「沖縄戦」一冊に 若手研究会、議論重ね完成 15日糸満でシンポ「地域史の活用図って」
沖縄県内の市町村史や字誌の「戦争編」を基に、沖縄の地域や島々での沖縄戦を一冊にまとめた「続・沖縄戦を知る事典 戦場になった町や村」(吉川弘文館)が、6月1日に ...
非戦訴え「名誉卒業証書」 宮城さん 疎開先 台湾の高校から 世界平和の理念推進、評価
台湾で戦争を体験し、戦後自らの体験を語り継いで非戦を訴え続けてきた「元全学徒の会」幹事の宮城政三郎さん(95)=那覇市=に、日本の高校にあたる台湾・高雄市立高 ...
県、「集会禁止」など条件提示 6.23追悼式ガマフヤーDNA鑑定呼びかけテント 沖縄
遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が23日の沖縄全戦没者追悼式に合わせ、DNA鑑定の申請を呼びかけるテント設置を求めていた件で、県が設置を認め ...
「戦争、絶対にいけない」 サイパン、犠牲者へ誓い
太平洋戦争で住民を巻き込んだ地上戦が行われた旧南洋群島のサイパンで2日、「南洋群島慰霊と交流の旅」(国際旅行社主催)の参加者ら約50人が「おきなわの塔」を訪れ ...
家族が眠る南洋へ 戦争体験者、孫ら37人出発 沖縄
太平洋戦争さなかの1944年、旧南洋群島のサイパンやテニアンなどで住民が地上戦に巻き込まれてから今年で80年を迎える。 80年前に地上戦が起きたこの時期に、 ...
平和への願い込め創作続け 山田真山さん娘と弟子 祈念像の理念継ぎ 沖縄
世界の恒久平和を願う沖縄平和祈念像に込められた思いや技術は、制作者の山田真山さん(1885~1977)の亡き後も、次の世代に受け継がれている。真山さんの下で祈 ...
旧南洋群島、戦禍から80年 遺族ら37人が慰霊の旅へ
2024/05/30
#南洋群島
太平洋戦争中に移住先の旧南洋群島のサイパンやテニアンなどで亡くなった県出身戦没者を追悼する「南洋群島・慰霊と交流の旅」の出発式が30日、那覇空港で開かれた。旧 ...
【写真・動画特集】約110mの内部 掘削跡がくっきり、過酷な作業伝える 首里城地下の32軍司令部壕 第2・3坑道 沖縄
2024/05/22
#沖縄戦
首里城の地下にあり、沖縄戦で軍事的中枢だった日本軍第32軍司令部壕。世界の恒久平和を沖縄から発信する歴史的な取り組みとして、保存・公開を進める沖縄県は、22日 ...
首里城地下の32軍司令部壕 第2・3坑道を県が公開 日本軍「南部撤退」から79年 沖縄
2024/05/22
#沖縄戦
1945年の沖縄戦で日本軍が「南部撤退」を決めた日から79年となる22日までに、沖縄県は、那覇市の首里城の地下にある日本軍第32軍司令部壕の一部を報道公開した ...
「早く沖縄にかえってきて…」 戦前のテニアンへの手紙、差出人は? 息子が情報提供を呼び掛け
「拝啓 早く沖縄にかえってきて下さいませ」。戦前、南風原からテニアンに送られた手紙が見つかった。故大城盛助(せいすけ)さん=テニアンで1944年7月25日に死 ...
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