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「戦争、絶対にいけない」 サイパン、犠牲者へ誓い


「戦争、絶対にいけない」 サイパン、犠牲者へ誓い 戦争で犠牲となった家族や親類らをしのび「おきなわの塔」で手を合わせる参加者=2日、サイパン(国際旅行社提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 太平洋戦争で住民を巻き込んだ地上戦が行われた旧南洋群島のサイパンで2日、「南洋群島慰霊と交流の旅」(国際旅行社主催)の参加者ら約50人が「おきなわの塔」を訪れ、戦争で犠牲になった家族や親類をしのんで手を合わせた。遺族や戦争体験者らは悲しみを胸に非戦の思いを強めた。

 太平洋戦争さなかの1944年6月13日、米軍は日本の「絶対国防圏」の一角とされたサイパンへの艦砲射撃を始め、同15日に上陸した。日米両軍の激しい戦闘の巻き添えとなり、約6千人の県出身者が犠牲になった。

 爆撃で両親が幼い息子や娘を亡くしたという福里美代子さん(77)=豊見城市=は3歳下の妹と初めて訪れた。両親の悲しみは癒えず、生前はほとんど戦争体験を語らず、旧南洋群島に足を運ぶこともなかったという。

 福里さんらは亡くなった時に2歳や5歳だったという、会うことのできなかった兄や姉を思い、「お線香をあげられてよかった」と語った。上陸地点のそばに若い米兵らの写真があったといい、「その人たちにも家族がいたはず、と思うと、戦争の被害者は一方だけではないと感じた。大切な家族の命を奪う戦争は絶対にしてはいけない」と力を込めた。 

(中村万里子)