沖縄戦写真「カラー化は76年越しの会話」…ツイート男性が感じるパラレルワールド


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子

 ツイッターのタイムラインをスクロールしているといつも指を止めて、見入ってしまうアカウントがある。子どもを2人おぶっているもんぺ姿の女性の写真。屈託なく笑うおかっぱ頭の女の子の写真…。撮影されたのはだいぶ昔のようだがカラーという違和感。

カメラを意識して整列する子供たち=1945年5月7日、座間味島(米軍撮影、沖縄県公文書館所蔵、人工知能+手動補正で色つけ)

 これは「ホリーニョ」さんのアカウント。戦中~戦後の沖縄の白黒写真をカラー化して2019年7月からツイートしている。その数200枚近くに上る。写真はリツイートで拡散し、多くの人がコメントを寄せる。「おばあもこうだったのかな」「この場所はきっとここです」。1枚の写真に情報が寄せられると同時に、それぞれの人の記憶と想像が広がっていく。「みんなの知識が総動員され、写真が立体的になっていく。この過程がとても楽しい」と話す。

 

 70年以上前の沖縄を次々にカラー化しているホリーニョさんは兵庫県出身で現在は大阪市に住む41歳の会社員。写真のカラー化は「完全な趣味」だと言う。沖縄とのつながりはなさそうなのに、なぜ沖縄の古い白黒写真をカラー化しているのだろうか。

 

「あまちゃん」、のんさんから沖縄戦へ

 

 ホリーニョさんが初めて沖縄を訪れたのは高校の修学旅行。初日に平和学習でひめゆり平和祈念資料館を見学したが、思い出に残っているのはそれではなく、海がきれいで楽しかったこと。社会人になってからも毎年夏休みに訪れ、「リゾート地沖縄」を満喫した。「癒してくれる沖縄」が大好きな普通の観光客だった。

 

 2013年にはNHKの朝ドラ「あまちゃん」にハマり、主演ののんさんのファンにもなった。そののんさんが広島県呉市の空襲やそこに住む人々の戦時下の暮らしを描いた映画「この世界の片隅に」で主人公の声を担当したことがきっかけで、今度は呉市や広島市のフィールドワークに参加するようになった。

「この世界の片隅に」を入り口にして、戦前の沖縄イラストを描いてみるのがスタートだった

 そこで体験者の話を聞き、戦前の街のことを知り「こんなにもリアルで僕らと地続きの世界があったんだ」と衝撃を受けた。分断されて暗黒の世界と思っていた戦前に自分たちと同じような人たちがいて、近代化された街が原爆で一瞬にして消えてしまったことが現実味を持って迫ってきた。「当時をよく知ったら、想像することができる」。戦争や原爆を自分ごととして考えたいと思うようになり、次第に沖縄で過去にあったことにも思いをはせるようになっていった。

 

「こんな写真見たことない」

 

 白黒写真のカラー化との出合いは2018年。東京大学大学院の渡邉英徳教授が、1935年の沖縄をカラー化した写真の展示会だった。それから1年後、実際にカラー化を始めた。米統治下の1952~53年に米軍医だったチャールズ・ユージン・ゲイルさんが沖縄県内各地を回り、当時の人々の生活や風景を写した写真の展示会で、来場者が写真の前で当時の記憶を語っていたのを見たことがきっかけだ。「これだ」とすぐにカラー化を申し出て、AI(人工知能)で色つけし、その日の夜のうちに1枚目をツイッターに投稿した。(スライダーを動かすと白黒→カラーになります。カラー写真は全てホリーニョさんが人工知能と手動補正で色つけ)

 一晩で100件以上の「いいね」がついた。「みんな見たいと思っている」と確信を得たホリーニョさんはゲイル氏の写真30枚ほどをカラー化し、続いて沖縄県公文書館所蔵の写真のカラー化に着手。見た人が身近に感じられるように、女性や子どもが写っている写真を中心にカラー化している。豚を運ぶ女性、手にたばこを持っている若い女性。投稿された写真には「こんな写真見たことない」という驚きと、76年前を想像するコメントが寄せられている。米軍撮影のため、笑顔の写真ばかりが残っている可能性は否定できないが、それでもあの頃、自分たちと同じような人たちがいたーーとリアルに伝わるものだった。

 

 この写真は特に反響が多かった1枚だ。沖縄戦を生きのびたおばあさんが孫と思われる子どもを抱いている。顔に刻まれたしわと笑顔からこの子どもがどれだけ希望だったのかがうかがえる。「おばあもこんな感じだったのかな」など、自分の肉親の体験に引きつけたコメントが多かったという。

 「住んでいる人に思いをはせること、戦争で失われたものに思いをはせることから、戦争そのもの、そして戦後の米軍基地への流れを理解できれば、沖縄で今起きていることの理解も深まるのではないか」。ツイッターでの反応を見ながらそう感じている。

 

「自分ごと化」の鍵は?

 

 アジア・太平洋戦争から76年が過ぎ、体験者がゼロになる日が一刻一刻と近づいている。戦争の記憶をどう継承していくのか。直接体験していない人が継承者となるにはどうしたらいいのか。各地で模索が続く。

 ホリーニョさんは自身の経験から「受動だけだと継承は難しいのではないのか。当事者性の獲得にはアウトプットが必要」と話す。色つけ自体はアプリで1分もかからないが、AIはデータが蓄積されている葉っぱの色など自然のものは上手に色つけするが、人工物は苦手だ。そのため補正が必要。資料を読んだり、人の話を聞いたりして当時の色に近づけていく。もちろん当時の色を100%忠実に再現できるわけではない。それでも、色を補正する作業の時間は遠い過去の沖縄のことを真剣に考える。

 「写真の中の人と対話している感じ。すると不思議なことに2021年に生きる自分と向こうの人のリアルタイムがパラレルワールドで存在しているような気がしてくる。そして『歴史』として終わったものではないんだなと感じる。ディテールが分かると人ごとでなくなるんです」

 今は誰もが発信者になれる時代だ。だからこそ「過去の優れた写真などは著作権フリーにして、クリエイターたちが使いやすいようにしておくことが大事だと思う。届け方がうまい人はたくさんいる。その人たちがどれだけ沖縄戦のコンテンツ作りに参加するかが今後の鍵」と考えている。 

 (玉城江梨子)

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