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50年で人口は1.5倍、県内2番目の多さも地域で格差 課題は「土地不足」<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>4


50年で人口は1.5倍、県内2番目の多さも地域で格差 課題は「土地不足」<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>4 ビーチ遊びを楽しむ参加者たち=沖縄市で造成中の人工島「潮乃森」
この記事を書いた人 Avatar photo 福田 修平

 沖縄市の人口は3月時点で、14万1886人となっており、那覇市に次いで県内2番目の多さだ。市制開始から50年で市の人口は約1.5倍に増加した一方、2022年、23年は前年(12月31日時点)比で約400人減少しており、沖縄市の人口は頭打ちになるとの見方もある。市内の地域で人口格差が広がる一方、土地不足などの課題も浮かび上がっている。

 沖縄市の人口の推移を自治会別に見ると、旧美里村(海邦町含む)の自治会では、50年前と比較して3.32倍となっているが、旧コザ市の自治会では0.73倍と大きく差が出ている。

 人口格差の最大の要因は土地区画整理事業にあるとみられる。沖縄市制開始以降に完了または完了予定の区画整理事業の面積を見ると、旧コザ地区で78.8ヘクタールとなっているのに対し、旧美里地区で360.3ヘクタールとなっている。

 旧美里村の泡瀬地区では、1970年に軍用地の中の旧住宅地地域が解放され、77.2ヘクタールの大規模な区画整理が実施された。美里地区で78年から始まった区画整理では農地が約2千戸の住宅団地に変換されるなど、宅地面積が急増し人口増加の要因となった。

米軍によって建設された泡瀬飛行場。写真奥に見えるのは勝連半島(1945年7月31日撮影、県公文書館所蔵)

 50年間の人口増加率が市内で最大の57.6倍(8944人増)となった泡瀬地区について、泡瀬自治会元会長の桑江良尚さんは「沖縄市東部は北谷町やうるま市の経済成長を受け、ベッドタウンとして人口が増加した要素もあるのでは」と推測した。

 一方、沖縄市市史編集担当の恩河尚さんによると、旧コザ市側の人口減少の要因は、1971年のニクソンショックによる円高で軍人や軍属の消費が落ち込み、特に中心市街地に流入していた人口が離れていったことが要因と考えられるという。

 琉球政府統計部の「1955年臨時国勢調査報告」によると、55年の越来村の総人口3万2776人のうち越来村に本籍を置く住民は1万2967人(40%)で、半数以上が地区外から流入してきた人口であり、市外から多くの住民が流入していることが分かる。

沖縄市の自治会ごとの50年間の人口推移

 市内で共通して見られる課題は土地不足だ。市内で最大の人口増加を続けてきた泡瀬地区でも2015年から人口はほぼ横ばいとなっている。泡瀬自治会の桑江さんは「人口については頭打ちだろうと思う。土地がもう余っていないし、大規模な働く場所もない」と説明する。50年間の人口の減少率が最大となっている城前自治会の新里賢一自治会長は「人口が減っている最大の要因は土地不足だ。地域の人が結婚して家族を持った時に住む場所がない」と声を落とした。

 コザ市は脱基地経済を目指して東部地区の海に活路を見いだし、美里村は人口の増加や港整備などを求め合併に至った。沖縄市にある中城湾港南ふ頭では現在、年間約100万トンの貨物量があり、7月にも新たな定期航路の創出を目指し実証実験を開始するなど、中部地区や県全域の経済の活性化を目指している。

 泡瀬沖で埋め立てが進む潮乃森でも、市は完成による市内の経済効果が年間約377億円、新規雇用人数が市民だけで約2700人と見込むなど多大な期待が寄せられている。一方、ハード交付金の減額などを受け、県分の工事の完成が当初の25年度から31年度に遅れる見込みとなるなど完成が待たれる状況となっている。

 市域面積の34%を米軍基地が占める沖縄市。今後のさらなる発展に向けて活路を見いだす必要がある。 

(福田修平)