今年4月、沖縄市は市制施行50周年を迎えた。1974年、基地経済で急激な発展を遂げたコザ市と、広大な土地があり海に面する美里村が合併。人口は50年で約4万6000人増えて14万人を超えた。旧美里地域は大規模な区画整備、中城湾港の活用や潮乃森の建設など海の活用を進める。旧コザ地域では沖縄アリーナ、沖縄こどもの国など新たなランドマークが生まれた。基地の門前町として栄えた風情を残しつつ「脱基地経済」へ中心市街地の再起を図った。沖縄市の半世紀の歩みを多方面から見つめ直す。
沖縄市の中心市街地が近年にぎわいを取り戻している。その一つが嘉手納基地のゲートにつながる胡屋十字路地域にある一番街商店街だ。アーケードで覆われた商店街は、10年ほど前まではシャッター通りの様相を呈していた。近年は、週末にもなると20代の若者ら幅広い年代の客のにぎわいの声が響く。自治体や通り会には多くの出店希望の声が寄せられ、需要に応えきれないほどだ。3店舗を出店するオーナーは「地元の人、特に若者たちの力でにぎわっている」と声を弾ませた。
沖縄市の中心市街地は、国道330号に沿って山里地域、胡屋十字路地域、コザ十字路地域の3拠点を中心に、戦後基地の門前町としてアメリカ文化の影響を強く受けてにぎわった。その中でも胡屋十字路地域は、ライブハウスや外国人オーナーの店舗も多く、異国文化あふれる独特な雰囲気で発展した。その一角にある一番街商店街は1975年に県内で最初のアーケードが設置され、沖縄市を代表する商店街として栄えた。当時を知る地域住民は「人と肩をぶつけて歩くほどだった」とかつての盛り上がりを話す。
2000年の大規模小売店舗法(大店法)の廃止後、郊外の大規模店の出店により、全国的な小規模小売店と同じように、沖縄市の中心市街地は大打撃を受けた。10年ほど前まで、一番街商店街は空き屋が多く、市が商店街内の空き屋対策として公的施設を置く措置を取っていた。
だが、市一番街商店街振興組合の親川剛理事長は「ここ5、6年で特に飲食業の出店希望が急増した」と話す。アーケードがあるため、雨風が防げることや歩行者専用になっていることが飲食店を引き付けた。今ある店舗もアーケードの下で、多くの市民が集い、にぎわいをつくり出している。
沖縄市を中心に飲食店を経営する「グロウアラウンド」は、一番街商店街で「でんすけ商店コザ」「麺と酒ソウハチヤ コザ」「バーグリーン」の3店舗を開く。白鳥拓論社長は、約7年前に市中央の空き店舗を活用し、最初の店をオープンさせた。当時、通りには2店舗しかなく「不安が大きかった」と振り返る。今は同じ通りに10店舗の飲食店が並んでいる。
白鳥社長は「地元の若者が集まってきた。現在も、お客さんのほとんどは地元の20、30代。県内の系列店舗に比べても売り上げが高い」と話す。「地元の人がつくり出す雰囲気がある。ある意味、一番沖縄らしい都市では」と一番街の魅力を語る。
同商店街に大学の友人と飲みに来た仲田芽生さん(20)は「飲食店でにぎわっているイメージがある。那覇よりも地元の人が集まる雰囲気で、お店にも入りやすい」と笑顔を見せる。
同じく中心市街地に指定されている市照屋のコザ十字路横に広がる銀天街は、一番街とは違い、2021年にアーケードを撤去したが、ここでも飲食業を中心に店舗の需要は高まっている。コザ十字路通り会の森寛和会長は「銀天街の強みである独特の街並みや、子どもが多い環境を生かし、独自性のある通りにしていきたい」と意気込んだ。
(福田修平)