沖縄の長寿三大食は「豚肉、豆腐、昆布」とされる。しかし米統治下の沖縄では、三大食をふまえつつ、米国と日本本土の食文化の影響も受けてきた。豆腐にツナ缶のチャンプルー、独自の進化を遂げたタコライスもあれば、本土資本の大型店舗がもたらした「納豆」「ヨーグルト」などの新食品も復帰後、柔軟に取り入れ定着している。世替わりがもたらした沖縄の食文化を振り返る。
日本復帰前、“基地の街”のコザ(現沖縄市)は二分されていた。現在の中央パークアベニューにあったBC(ビジネスセンター)ストリートを中心に、市中央は白人向けの飲食店やライブハウスなどが軒を連ねた。一方、市照屋はテイラー(仕立屋)やバーなど黒人向けの店がひしめき合った。米本国に残る有色人種に対する差別が沖縄にも持ち込まれていた。
照屋で生まれ育った徳里末子さん(74)の両親はAサインバーを営み、8人の子を育てた。小学生の頃、学校帰りに店に寄ると、従業員の女性たちへの差し入れとして黒人兵が焼きめしを持ってきた。ケチャップや黒こしょうがかり、細かく切られた牛肉やタマネギなど食材を観察しながら、徳里さんは箸で一粒ずつ味見した。「ケチャップをかけたご飯なんてほとんど食べたことがなかった。おいしかった」
かつてのAサインバーを改装し、1979年に「六曜舎」を開業した。7年程前に友人の池原えりこさんに勧められ、黒人街の味を再現した。予約限定の特別メニュー「スパイシーフライドライス」。粗びきの黒こしょうだけでなく、インド料理を学んだ徳里さんがアレンジを加えさらに進化させた。フライドライスは米南部の奴隷たちから生まれた「ソウルフード」。復帰前のコザだけでなく米国の歴史の1ページも味わえる逸品だ。
(松堂秀樹)
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