沖縄の長寿三大食は「豚肉、豆腐、昆布」とされる。しかし米統治下の沖縄では、三大食をふまえつつ、米国と日本本土の食文化の影響も受けてきた。豆腐にツナ缶のチャンプルー、独自の進化を遂げたタコライスもあれば、本土資本の大型店舗がもたらした「納豆」「ヨーグルト」などの新食品も復帰後、柔軟に取り入れ定着している。世替わりがもたらした沖縄の食文化を振り返る。
飲み会後の締めとしてもすっかり定着した、県民食のステーキ。沖縄では1951年に越来村(現・沖縄市)に開業した「ニューヨークレストラン」が初めて提供した。喜界島出身の元山嘉志富さん(故人)が開業した店は米軍人の人気を集め、のれん分けで各地に広がった。
元山さんのおいで、現在の中央パークアベニューにあった店を父から受け継いだ徳富清次さん(78)は「ステーキは当時、高級品。米軍相手のAサインバーのオーナーやホステス、医者くらいしか食べられるウチナーンチュはいなかった」と振り返る。
沖縄市の老舗ステーキハウス「四季」のオーナー一家に育ち、「ステーキハウスOK」(市比屋根)を経営する當山康司さん(52)。ステーキが県民食になったのは「沖縄の日本復帰後だ」と説明する。復帰でドル経済が退潮し、米軍人客が減る中、復帰特別措置で沖縄の牛肉の低関税は維持された。本土より安く牛肉が買えたため、「沖縄といえばステーキ」という印象が県民や観光客に根付いた。
當山さんが組合長を務める市料理飲食業組合は、昨年11月29日の「いい肉の日」に「ステーキ発祥地の地コザ」を発信するイベントを開いた。「コザの洋食文化を発信して街を活性化したい」と意気込んでいる。
(島袋良太)
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