旧南洋群島、戦禍から80年 遺族ら37人が慰霊の旅へ   


旧南洋群島、戦禍から80年 遺族ら37人が慰霊の旅へ    国際旅行社主催の「南洋群島・慰霊と交流の旅」の参加者と見送りに訪れた「南洋群島帰還者会」の上運天賢盛会長(前列中央)ら=30日、那覇空港
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 太平洋戦争中に移住先の旧南洋群島のサイパンやテニアンなどで亡くなった県出身戦没者を追悼する「南洋群島・慰霊と交流の旅」の出発式が30日、那覇空港で開かれた。旧南洋群島が戦場となった1944年から80年。今年は成田空港や現地からの合流を含め20~93歳の37人が参加する。

 慰霊と交流の旅は1968年に初めて行われ、旧南洋群島の帰還者らでつくる「南洋群島帰還者会」が主催してきたものの、2019年の50回目を最後に中断した。遺族らの強い要望を受け、22年に国際旅行社(那覇市)が主催ツアーとして復活させた。サイパンに米軍が上陸し地上戦となった6月前後に毎年、実施されている。

 出発式で見送りに訪れた、南洋群島帰還者会の上運天賢盛会長(92)はサイパンで戦争の巻き添えとなり、家族7人を亡くした体験を振り返り、「当時、島ではデマばかり流され、米軍に捕まれば女性や子どもは乱暴され、殺されると言われた。住民は重要な情報を知らされず、外部の状況が全く分からなかった、そこが沖縄戦と南洋戦との大きな違いだ」と指摘した。

 その上で「軍隊は国を守ることを義務としても、住民のことは決して守ってくれない。今の沖縄もきな臭くなってきた。慰霊に加え地域の住民と親睦を重ねることが皆さんの役目。体に気をつけて」と送り出した。

 国際旅行社の與座嘉博社長(58)は「このツアーは台風の接近に遭っても必ず遂行できている。み霊に見守っていただいている」と語った。

 初めての参加だという福里美代子さん(77)=豊見城市=と諸見里政子さん(74)=西原町=の姉妹は、両親がサイパンで戦争を体験し、引き揚げた後に沖縄で生まれた。両親はサイパンで息子と娘を亡くしたということだけ語ったものの、つらい思いから現地を訪れることができなかったという。

 福里さんと諸見里さんは幼くして亡くなり、会うことのできなかった兄や姉に「お線香をあげたい」と話した。

 ツアーは4泊5日で、6月1日には希望者がテニアンを訪れ、翌2日にはサイパンで犠牲者を追悼する。


(中村万里子)