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中国人の捕虜殺害、慰安所通い…託された日記 日中戦争に出兵した父の「責任負う」 宜野湾で講演会 沖縄


中国人の捕虜殺害、慰安所通い…託された日記 日中戦争に出兵した父の「責任負う」 宜野湾で講演会 沖縄 父親の体験について語り合う田中信幸さん(左から3人目)、具志堅正己さん(同2人目)、佐久川正一さん(左端)、松井裕子さん=6月30日、宜野湾市のぎのわんセミナーハウス
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 「南京・沖縄をむすぶ会」は6月30日、父親が戦時中に中国に出兵した田中信幸さん(73)=熊本県在住=による講演会を宜野湾市で開いた。約50人が参加。田中さんの父親は、日中戦争で中国人の捕虜を殺害したことや慰安所に通ったことを日記に記していた。

 日記を託された田中さんは「父親の責任を一緒に背負う」と覚悟を決め、語り継ぐ活動を続けてきた思いを語った。県出身者らとの座談会もあり、子や孫の世代が加害に向き合う難しさと大切さについて話し合った。

 田中さんの父、故・武藤秋一さんは、1936年に入隊した。37年に日中戦争の勃発で動員命令を受け、上海に面する杭州湾に上陸。南京攻略戦に参加し、同年12月13日の南京陥落後、城内掃討に加わった。南京虐殺にも関わったとされる。

 田中さんは戦後、父親に「あなた方がしたのは侵略戦争だったんじゃないか」と問うた。当初、父親は「それを認めたら自分の人生がなんだったか分からないことになる」とかたくなに認めることを拒んだという。周囲の人にも「あの時代は仕方なかった」と諭された。「孤独な闘いだった」(田中さん)が、粘り強く対話し、10年近い年月をかけて徐々に父親から中国での体験を聞き出していった。

 田中さんはその後、中国に出兵した家族を持つ県内在住者らと対談した。具志堅正己さん(73)は「父親が人を殺したと思うと尋ねるのが怖かった。戦争は被害者にも加害者にもなる。これから加害の面に目を向けることが東アジアの平和と安定につながっていくと思う」と語った。

 昨年、南京を訪問した松井裕子さん(74)は、日本軍から脚を銃剣で突き刺された母親が苦しみ続けていたという話を現地の女性から聞いた。松井さんは「しっかり向き合わないといけないと思った」と語った。佐久川正一さん(73)も「これから勉強したい」と話した。

 来場者から日中関係悪化について質問された田中さんは「われわれが歴史認識を正しく持つことが、中国の人にとって非常にうれしいことだと思う」と話した。その上で「民間交流を通し、日本には日中平和友好条約を壊す気も、戦争をする気もないと示した方がいい」と指摘し、沖縄が東アジアの交流発展に寄与することを期待した。

 (中村万里子)