サイパンで両親ときょうだい3人を亡くし、兄2人と孤児になった那覇市の金城千代子さん(82)は23日、今年も那覇市識名の南洋群島戦没者慰霊碑に手を合わせた。「みんなに守られて生きてきたよ」。思いは尽きず、涙をぬぐう。
農業を営み、穏やかな暮らしを戦争が奪った。1944年6月15日、米軍がサイパンに上陸。当時2歳の金城さんを含む家族8人は艦砲射撃と爆撃の中を逃げ惑った。島の北の壕に隠れていた7月6日、日本兵が来て、米兵に総攻撃する「玉砕命令」が出たことを告げた。父親に行けるか聞いたが、父親は足をけがしていた。日本兵は手りゅう弾を渡し、言った。「戦えないなら自決せよ」
父親は他の住民らと「自決」。母親は子ども6人を連れ、海岸線を南下した。金城さんは兄におぶわれていた。結局母親と兄も行方が分からなくなり、姉と乳飲み子の弟は捕虜収容所で亡くなった。金城さんに記憶はなく、戦後引き取られた先で経緯を聞いた。兄2人も戦後苦しみ続けた。
軍事増強が進む沖縄について「もう7割方、沖縄は戦争になるという心配がある」と語る。「自衛隊は軍隊。基地があるところに戦争がある。もう基地をこれ以上造ってほしくない」
テレビで戦争の映像が流れる度に心臓をわしづかみにされるような気持ちになる。「戦争孤児ってこんなものだよね。今の子どもたちには戦争をしてほしくない」。沖縄戦から学び、次世代に最も継承するべきことは「戦争をしないことだ」と言い切る。
(中村万里子)