南洋群島慰霊の旅 体験者ら癒えぬ悲しみ 「戦争のむごさ伝えたい」 平和への思い新たに


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戦争で犠牲となった家族や親類らをしのび、手を合わせる参加者=4日、サイパン(国際旅行者提供)

 太平洋戦争時のサイパンで犠牲となった戦没者をしのぶ「おきなわの塔」を訪れた「南洋群島・慰霊と交流の旅」(国際旅行社主催)の参加者らは、癒えぬ悲しみを胸に恒久平和への思いを新たにした。

 1946年、サイパンの収容所で生まれたという山川宗勝さん(77)は初めて出生の地に戻ってきた。

 戦時中、山川さんの家族は日本兵に壕を追い出された後に手りゅう弾で自決を試みたが、米軍の爆撃による負傷で断念し、逃げる途中で捕虜になったという。一方で親類は疎開船を襲撃されて亡くなった。家族の戦争体験に思いをはせた山川さんは「ウクライナの現状とも重なるが、戦争は悲惨な話しかない」と話した。

 53回目の訪問となる横田チヨ子さん(95)。16歳の頃、逃げ惑う山中で父と兄、兄の子を亡くした。兄の骨を拾えなかった心残りと、罪のない幼子の命が奪われた記憶をたどると今も胸が詰まり、声が震える。

 戦禍から約79年。高齢のため「そろそろ毎年来る約束はできないよ」と手を合わせ、持参した水と酒、お茶、タンナファクルーを供えた。喉の渇きに苦しんだ当時の情景とともに悔しさもよみがえる。「山の中に3カ月も避難していたが、捕虜になると辱めを受けるという友軍を信じないで、早く下山していれば家族を亡くさずに済んだはず。戦争のむごさを多くの人に知ってほしい」と話した。
 (嘉陽拓也)