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炎天下に鎮魂の祈り 継ぐ平和への思い 沖縄戦体験者、悲しみ癒えず 慰霊の日


炎天下に鎮魂の祈り 継ぐ平和への思い 沖縄戦体験者、悲しみ癒えず 慰霊の日 沖縄全戦没者追悼式で恒久平和を願って焼香する参列者ら=23日午後1時18分、糸満市摩文仁の平和祈念公園(大城直也撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 正午の時報とともに目を閉じ、79年前の戦禍が奪った命を思う。沖縄は23日、慰霊の日を迎えた。日曜とあって、各地の慰霊や追悼の集いには、例年以上に多くの人々が訪れた。鎮魂と平和の祈りに包まれる中、自衛隊の急激な配備拡張に「戦前」を思い起こす戦争体験者がいる。悲惨な地上戦の経験から得た教訓を、私たちはどう受け継ぐべきか問われている。

 沖縄戦の組織的な戦闘が終結してから79年となる慰霊の日の23日、糸満市米須の魂魄の塔や同市摩文仁の平和の礎には早朝から多くの遺族や親族らが訪れ、79年前の悲劇に思いをはせながら、鎮魂の祈りをささげた。

 梅雨が終わり、青空から強烈な日が差した糸満市の平和祈念公園。夜明けとともに気温はぐんぐん上がり、沖縄全戦没者追悼式が行われた正午ごろには真夏日となる31度を記録した。沖縄特有の蒸し暑さも相まって、式典参列者や平和の礎を訪れた県民らは汗をぬぐいながら、故人を悼んだ。

 母や父、きょうだいらの名前が刻まれた礎を指でなぞり涙を流す高齢者、祖父母らが語る沖縄戦の悲劇に耳を傾ける子どもたち。平和の礎はこの日、沖縄戦の実相を継承し、不戦を誓う場でもあった。戦後79年がたった今も癒えない傷や怒り、悲しみを抱える県民は少なくない。

 那覇市の上原歳隆(たける)さん(48)は、1944年7月にサイパンで犠牲になった当時1歳の伯父の名が刻まれた平和の礎を初めて訪れた。昨年、78歳の母が亡くなったのがきっかけだ。礎を前にすると当時の環境や、伯父、祖父母の無念さが想像されると話し「自分は生かされている。日々を大事にしないといけない」と声を詰まらせた。

 南城市玉城の比嘉正則さん(88)は兄と祖母の名が刻まれた平和の礎に手を合わせた。兄は兵隊として沖縄戦に従軍し、どこで亡くなったのかすら分からない。自身は戦時中、艦砲射撃を受け、頭と胸に今も傷跡が残る。「平和な時代なら兄も祖母も生きられただろう。戦争のない世の中になることを願っている」と語った。

 追悼式では玉城デニー知事が平和宣言の中で、県内で進む自衛隊増強に「無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのか」と問いかけた。会場からは大きな拍手がわき上がった。一方、岸田文雄首相があいさつをしている途中、会場の中央辺りで「岸田、沖縄を戦場にするな」と怒鳴り声が響き、会場は一時騒然とした。

 鎮魂の祈りは、県内各地でもささげられ、県民の多くが、恒久平和を願う日となった。

(吉田健一、外間愛也、小浜早紀子、名嘉一心)