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【動画】学徒の思い 歌いつなぐ 首里高合唱部 「戦時」に自身重ね 「平和祈念の会」で披露へ 無念や命の尊さ伝える


【動画】学徒の思い 歌いつなぐ 首里高合唱部 「戦時」に自身重ね 「平和祈念の会」で披露へ 無念や命の尊さ伝える
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 慰霊の日を前に、沖縄戦に動員された県内21の師範学校・中学校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」は19日、那覇市首里の養秀会館で平和祈念の会を開く。県立首里高校合唱部は元全学徒の会の歩みや思いを歌にした「ああ、いつまでも伝えてよ」を、その場で初めて披露する。歌を通し、当時の中高生が死に追いやられた状況を身近に感じながら、元学徒らの思いを想像し、伝えていこうと自覚を強めている。

 「ああ、いつまでも伝えてよ」は、元全学徒の会幹事の宮城政三郎さん(95)が作詞・作曲し、県立第一高等女学校同窓生の与儀毬子さん(94)が採譜した。10代で戦争に動員され、亡くなった友の無念を「伝えてほしい」との思いが込められた。元学徒らの願いで、糸満市の平和祈念公園に建立された「全学徒隊の碑」も紹介している。

 動員された21校の一つ、県立第一中学校の後身にあたる首里高校の生徒たちに歌ってほしいと、同校の同窓会から話があり、先々週から合唱部が練習を始めた。1年の大城英里名さんは「学徒は一中だけだと思っていたが、歌を通して21の学校から動員された歴史や、全学徒隊の碑が建てられていることを知った」と話す。

 沖縄戦では21校の男女の学徒らが動員され、男子学徒は壕堀り、武器弾薬や食糧などの運搬、伝令、電話線の架設や修理など、女子学徒は負傷兵の看護などにあたった。

 一中の学徒らは米軍が本島へ上陸した直後、1945年4月4~5日に家族に宛て、遺書を書き残していた。当時の学徒らの年齢は今の高校生と重なる。

 首里高合唱部顧問の西田都さんが「もし同じ立場だったらどうか、想像してごらん」と促すと、1年の金城裕花子さんは「この年で遺書を書くことはない。死ぬ覚悟で戦争に向かっていったと思うと、よく言えばたくましいが、戦争がそういう考えにさせたのが怖いと思った」。

「ああ、いつまでも伝えてよ」の歌を練習する県立首里高校合唱部の生徒ら=7日、那覇市首里真和志町の同校

 2年の上江洲和奏さんは、学徒が最後に家族に会いに行った話に触れ「思わず泣いてしまった。死ぬという心境にさせられてしまうって怖い、命って尊い」と声を詰まらせた。

 約1週間後の本番を見据え、練習に熱がこもる。2年の島袋大輝さんは「若い世代に伝えるため、歌を作った人や慰霊祭に参加する人たちの気持ちを考え、歌に込めていかなければ」と気を引き締める。

 翁長優百(ゆも)さんは「全学徒隊を思い、心を一つにして歌いたい」、部長の仲里伊織さんは「戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えきれたらいい」とまっすぐなまなざしで語った。 

(中村万里子)