「宝物をいっぱい渡してくださり本当にありがとうございます」。沖縄県立第二高等女学校(二高女)から沖縄戦に動員された元白梅学徒の武村豊さん(95)と20年以上の親交がある元平和ガイドの宮城孝子さん(61)は14日、県外の友人らと那覇市内の武村さん宅を訪ね、感謝を伝えた。武村さんは約30年続けた語り部を3年ほど前に引退し、副会長を務めてきた白梅同窓会も幕を閉じた。白梅の元学徒らの思いを受け継ぎ、次の世代へ渡していこうという人々の輪は広がっている。
学友や家族を亡くし、痛みを背負って生きてきた元白梅学徒らは、沖縄戦から50年の節目の1995年に記録集「平和への道しるべ 白梅学徒看護隊の記録」を刊行し、本格的に語り始めた。武村さんも、地域の学校に呼ばれて体験を話すようになった。戦前、教えられるまま「大東亜共栄圏を守る聖戦」だと信じ、軍に協力した後悔、学友や母親、姉の死という「心の傷」に向き合い続けてきた。
44年3月、第32軍司令部の要請を受け、二高女の4年生56人が第24師団陸軍野戦病院に動員された。解散命令後は南部の戦場をさまよい、学友を目の前で亡くした。母親と姉は武村さんを捜しに来て南部で命を落とした。
2000年代から、昨年他界した中山きくさん(享年94)と、慰霊と継承活動を行う白梅同窓会の活動の中心となった。1日数件講話を掛け持つことも。沖縄に集中する米軍基地問題の不条理にも声を上げ続けたほか、語り部の活動を通し、知り合った県内外の人々とも幅広く交流してきた。
14日、武村さんを訪ねた神奈川県の元県立高校教員の新井敦子さん(63)、樋浦敬子さん(74)も引率した修学旅行で1990年代後半に武村さんから話を聞き、親交を持ち続けてきた。武村さんが見せてくれたファイルには、活動の記録がとじられている。子どもたちに伝わる表現を推敲(すいこう)し、赤字で追加された文字。必ず講話の最後は託す言葉で締められた。「社会をよく見つめ、正しい判断力を養ってください。平和な社会をつくるのはあなた方です」
白梅同窓会は高齢化に備え、若手を育ててきた。最後の会を昨年11月に開き、遺族やボランティアらでつくる「白梅継承の会」が活動を引き継ぐ。この日、宮城さんは「『平和が一番、戦争はダメ!』という白梅の心をしっかりと次へ渡していきたい」と伝えた。ねぎらいを受け、武村さんはやり切った表情を浮かべた。沖縄戦の記憶と教訓を伝える―。そのバトンは体験者から思いを受け取った人々がつないでいく。
(中村万里子)