世界の恒久平和を願う沖縄平和祈念像に込められた思いや技術は、制作者の山田真山さん(1885~1977)の亡き後も、次の世代に受け継がれている。真山さんの下で祈念像の制作に携わった、漆芸家で浦添市美術館長の糸数政次さん(69)と真山さんの娘で紅型作家の眞佐子さん(77)=作家名山田泥眞(でいしん)=は、自然や文化を大切に思い作品づくりを続けている。2人の作品は全国的に評価され、今年の「第33回工芸美術日工会展」(工芸美術日工会主催)にも入賞した。
糸数さんは、真山さんが90歳の頃に出会った。平和祈念像の原形がほぼ完成した時期だった。県外の造船会社で溶接の仕事などをした後、海洋博で沖縄に戻っていた20代の時に、近所の縁で家族を通し真山さんから声を掛けられた。
「芸術の力で平和を訴える」「二度と戦争を繰り返してはならない」と打ち込む思いと仕事に感銘を受け、漆芸の世界に飛び込んだ。
平和祈念像は、漆と顔料を混ぜたものを薄く延ばした堆錦(ついきん)という技法で作られている。漆3・5トンを使い、型どりをした石こうに堆錦を手で貼り付ける膨大な作業を通し、糸数さんは漆芸の技法を学んだ。その後、県立芸術大でも教えた。
糸数さんの作品は沖縄独自の素材を取り入れている。今回漆盤(うるしばん)に使ったデイゴは「繊維が強いので、よく研いだ刃物でないとごそっとむしり取られてしまう」。研いだカンナでデイゴを削り、たこ糸を一本ずつ張って波を表現。赤の漆の上に透明の漆を塗って仕上げた。
漆芸の道を歩んで49年。探究心と情熱は増すばかりだ。「はがれない、人間が死んでも色落ちしない漆器をつくりたい。琉球漆芸を広めたい」と意欲は膨らむ。
眞佐子さんの新たな紅型の染め物は沖縄戦直後の風景をイメージした。タイトルは「あの日歓喜の音」。「恐ろしい暴風がやんだ時、喜びにあふれた昇竜がうれしさのあまりデイゴをまとい、カンカラ三線をかき鳴らし、打ちひしがれた島中の人々に平和の音を振りまいた」と説明する。
「木や土、水などがなければ作品づくりはできない」からこそ「自然を大切にしなければ」と力を込める。しかし今、危惧するのは、沖縄で進む軍事要塞化(ようさいか)だ。「あの時の歓喜はなんだったのか。再び時が逆戻りしているのかと、とても怖い。力のなさを痛感する」。それでも平和への願いを作品に込め、喜びと悲しみを全身に感じながら創作を続けている。
工芸美術日工会の会員は約100人。眞佐子さんは日工会賞、糸数さんは奨励賞を受賞。2人の作品も展示される日工会展は6月15~21日(休館17日)、東京都美術館・ロビー階第4展示室で開かれる。
(中村万里子)
<用語>山田真山
1885年、現在の那覇市壺屋に生まれる。21歳で現在の東京芸術大学合格。日本画と彫刻を学び、卒業後は清(中国)の北京芸徒学堂で美術を教え、帰国後は中央美術界で活躍した。1940年沖縄に戻り、45年の沖縄戦で長男と三男を失った。戦後は沖縄の伝統工芸復興に力を尽くし若い芸術家の指導にあたった。57年、72歳の時に平和祈念像の制作を始め、90歳で像の原形が完成。77年に91歳で死去した。