助走期間、カラー温存  妙案出ず目立つ〝安全運転〟 辺野古、民意踏みにじる国 〝新人〟記者が見た知事就任1カ月


この記事を書いた人 大森 茂夫

 玉城デニー氏の知事就任から4日で1カ月となる。翁長雄志知事の県民葬(10月9日)を取り仕切り安倍晋三首相(同12日)との初会談、県民投票条例案の成立(同26日)、そして県の承認撤回で止まっていた名護市辺野古埋め立て工事の海上作業再開(11月1日)など、就任とともに政局が目まぐるしく動きだし、新知事の一挙手一投足に全国に注目が集まった。東京新聞との半年間の記者交流で10月から琉球新報政治部に所属する山口哲人記者が、同じ”新人”として見た玉城県政の1カ月を振り返る。

◇初日見舞った台風

県の辺野古埋め立て承認撤回に対抗する国の法的措置について「民意を踏みにじるもの」と怒りをあらわにした玉城デニー知事。県政発足1カ月は堅い表情が目立った=10月17日、県庁

 玉城デニー氏が新知事に就任して4日で1カ月。この間の知事の働きぶりをどう評価するか。38歳にして初めて沖縄の地に足を踏み入れ、1カ月しかたっていない新米記者の目にも、知事は爪痕を残すために必死にもがくだけで、あっという間に過ぎてしまった船出だったように映る。

 記者は東京新聞(中日新聞東京本社)政治部から琉球新報社に人事交流で派遣されているが、古巣では2017年9月~18年7月まで国会で野党を担当。国政野党で主導権を握る立憲民主党が主たる取材対象だったため、直接玉城氏と親交はなかったが、衆院議員時代の玉城氏には笑顔さわやかな好印象を抱いていた。

 記者が琉球新報政治部に着任したのが知事選翌日の10月1日。その日、玉城氏が本社に来訪。名刺交換をすると、「国会で君のことを見たのを覚えているよ。よろしく」と穏やかな笑顔で声をかけてくれた。

 ところが、就任初日で職員訓示を予定していた4日、台風25号の接近で初公務は防災服で行うこととなった。24号と併せて沖縄は甚大な被害に被った。嵐の船出を予感させ、案の定、知事就任後はその表情がどんどん曇っていった。

◇消えた笑顔

 原因はやはり米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設阻止に向けた有効策が見いだせていないこと。また、それを見越して安倍政権が「粛々」と移設に向けた駒を進めていることだろう。

 12日には早速知事が首相官邸に出向き、安倍晋三首相と菅義偉官房長官に辺野古新基地建設反対を伝え、対話を続けるよう求めた。翁長雄志前知事が就任してから4カ月間、「門前払い」されていたことを考えると、就任1週間ほどで首相への直訴がかない、解決に向けたわずかな光が差したように見えた。

 しかしそれもつかの間、17日に国は埋め立て承認撤回への対抗措置を講じ、期待は裏切られた。右手で握手を交わしながら左手を振り上げる対応に、知事から笑顔は完全に消え、「知事選で示された民意を踏みにじるもので、到底認められない。国の方法、方針に非常に憤りを持っている」とコメントした。

 30日には〝国〟が申し立てた執行停止を〝国〟が認め、11月1日に埋め立て工事再開に向けた作業が始まった。国は、知事の訴えに耳を貸さないということをはっきりさせたと言える。知事も民意を背景にした対話以外に、国の横綱相撲をうっちゃる妙技を編み出せていないように感じられた。

 知事が表情を失ったことを象徴するのが、国の数々の動きに対するコメントを読み上げる時だ。毎回、用意された紙に視線を落とす。対話を求めている手前、感情をむき出しにしたくないのだろうし、不用意な発言で揚げ足を取られないよう安全運転に努めているのが分かる。

 衆院議員時代の知事は自らの言葉で語り、もっと生き生きとしていた。この1カ月を助走期間ととらえ、デニーカラーを出せるよう今後の活躍に期待したい。