駆ける4・21衆院3区補選(上)屋良朝博氏 未来は必ず変わる ピープルパワーに胸熱く 基地取材20年、日米へ解決策


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走って支持者らの元に向かう屋良朝博氏=9日、沖縄市のコザ十字路付近

 屋良朝博氏が遊説を終え立ち寄った食堂で、政府と県、宜野湾市による普天間飛行場負担軽減推進会議のニュースが流れた。「何も変わらないな」。屋良氏はため息交じりにつぶやく。

 北谷町出身で、米軍基地は“自然の風景”だった。沖縄の置かれる状況に「おかしい」と感じたのはフィリピン国立大の学生時代。マルコス独裁政権下の「ピープルパワー革命」を目の当たりにした。路上や大学内で声を上げる人々と、故郷の沖縄を重ね、自由と民主主義を求める姿に胸が熱くなった。社会の転換を伝える記者を目指そうと決めた。

 1987年に沖縄タイムス社に入社。基地問題と向き合う原点を「95年の少女暴行事件」とする。当時、基地担当だった屋良氏は石垣島での旅行中に一報を聞き、とんぼ返りした。「それまで基地問題を無視し続けてきた日米政府が、ようやく正面から取り組む姿勢を見せた」と分岐点を振り返る。自身も加害者の所属部隊だった海兵隊を「徹底的に調べる」と決意した。

 20年以上、取材と研究に明け暮れる日々だった。米国のワシントンやハワイで、米軍の司令官らに直接、沖縄の基地問題について聞いた。彼らは口々に「海兵隊の基地は沖縄でなくてもいい」と言った。なぜ沖縄に基地が集中しているのか。海兵隊の多くは元々、本土から沖縄へ移動した部隊だった。「負担を押し付けているのは日本政府の側ではないのか」。基地問題の解決に真っ向から勝負しようと、政治の世界に目を向けた。

 街頭では「海兵隊の動きを工夫させれば、辺野古の海を埋め立てなくても、普天間飛行場の閉鎖返還は可能だ」と力強く訴える。国政の場で、日米政府に解決策を提示する考えだ。

 好きな言葉は「We Shall Overcome(ウィー・シャル・オーバーカム)」(勝利を我等に)。世界のあらゆる市民運動の場で歌い継がれる抵抗の曲だ。「ずっと変わらない沖縄の状況もいつか必ず変えられる」。沖縄の未来を変えるため、各地を駆け回り、人々に思いを伝える。

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 21日投開票の衆院沖縄3区補欠選挙で立候補した2候補の選挙戦を担当記者が切り取り、描いた。
 (衆院3区補選取材班)