沖縄戦で不明の父の手掛かり求め 韓国の男性が来沖


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父・権云善さんの手掛かりを探そうと沖縄を訪れている権水清さん(右から2人目)=16日午前、読谷村渡具知

 沖縄戦で行方不明になった父の権云善(コン・ウンソン)さんの手掛かりを探すため、韓国人の権水清(コン・スチョン)さん(75)が15日から沖縄を訪れている。日本軍の陣中日誌などから判明した事実を基に、16日には父の配属部隊がいた読谷村や与那原町を訪れた。写真も残っておらず、その姿を思い描くことができないという水清さんは「以前よりも父に関する詳細が分かってきた」と話し、一層の進展に期待を込めた。

 18日には同行している「戦没者追悼と平和の会」のメンバーと県を訪れ、DNA鑑定による調査などを依頼し、記者会見を開く予定だ。
 大戦中は数多くの朝鮮人が沖縄にも連行された。云善さんのように、今なお行方不明のままとなっている人は少なくない。
 云善さん(1915年生まれ)は44年に徴用されて沖縄に連行され、陸軍軍属として特設水上勤務第104中隊に配属された。同隊の略歴によると、45年5月29日に島尻郡で戦闘に参加し、6月22日に「全員斬込隊となる」と記されている。
 戦後、日本の統治から解放されたが父親は帰らず、水清さんが9歳のときに母親も亡くなった。水清さんは「生活は苦しく、生き残るのに精いっぱいだった」と振り返る。96年に厚生省(当時)に云善さんの記録を照会したが「復員または死亡記録なし」との回答があるのみだった。
 水清さんが沖縄を訪れるのは4回目。今回は、事前に陣中日誌などから父が読谷村渡具知で荷役作業に従事していたことや、部隊のより細かな足取りが分かった。同村渡具知では、住民から当時朝鮮人が多くいたことや、生活の様子に関する証言が得られた。
 「前回来たときは、手掛かりもないまま韓国式の法事をした。ここから見える空を父も見ていたと思うと、涙が出てくる」と語った。