史劇「首里城明け渡し」 継承へ若手起用、独特の言葉に課題


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
中城御殿から首里城を眺める尚泰王(中央、玉城盛義)と悲しむ中城王子尚典(左から2人目、祖慶しのぶ)、津波古親方(左端、平良進)ら=4日、浦添市の国立劇場おきなわ

 国立劇場おきなわ開場10周年を記念した史劇「首里城明け渡し」(山里永吉作、八木政男演出)が4、5の両日、浦添市の同劇場で上演された。明治政府が琉球国に日本への帰属を迫り、首里城が明け渡されるまでの士族の苦悩や悲哀を描いた。上演の少ない史劇の継承を目指し、中堅・若手の組踊立方を中心に起用した。

 日本に従うしかないと考える宜湾親方(東江裕吉)と清(しん)国を頼る亀川親方(神谷武史)の議論で幕を開ける。旧世代と対立する亀川里之子(嘉陽田朝裕)、池城里之子(宮城茂雄)ら若い世代の苦悩と悲恋も描かれる。琉球処分官・松田道之(川満香多)は廃藩置県を通達、首里城の明け渡しと尚泰王(玉城盛義)の上京を命じる。尚泰らは城を出て中城御殿に移る。
 「首里城―」は尚泰役だった伊良波尹吉の名演が伝説となっている。八木は1948年ごろ、戦後初の上演で伊良波と共演したという。「先輩方から受け継いだ沖縄芝居の伝統を次世代に引き継ぐ」ため、若手に言葉遣いなどを細かく指導した。
 史劇は上級士族同士の言葉や国王への尊敬語といった独特の言葉を使う。中堅・若手は丁寧なせりふ回しを心掛けていたが、まだ役を自分のものにできていないように見えた。再演を重ね、深みが増していくことを期待したい。
 「首里城―」は尚泰が船で上京するとき、「戦世も済まち みろく世もやがて 嘆くなよ臣下 命ど宝」と琉歌を詠む場面が有名だ。解説を担当した仲程昌徳元琉大教授らによると、これは山里作の史劇「那覇四町昔気質」の場面が後に「首里城―」に混ざったもので、原作にはない。
 今回は原作と74年にRBCが上演した際の台本を基にした。尚泰が中城御殿から首里城を眺める物悲しい場面で幕となる。船に乗って去る有名なパターンとは別の味わいがあり、今回の脚本も継承してほしい。
 「首里城―」は歴史の節目に演じられてきた。終戦直後の上演でも日本復帰直後の上演でも、観客の生きている時代と重なって見えたことが名作とされる理由の一つだろう。
 基地問題で揺れる現在とも重なる。劇中で池城は宜湾に琉球は清国のものか、大和のものかと問う。今なら沖縄は日本のものか、米国のものかと問いたくなるのではないか。劇と現在を重ねなくともいいような「みろく世」の実現を願わずにはいられない。
 ほかの出演は座喜味米子、花岡尚子、平良進、仲嶺眞永、島袋光尋、宇座仁一、高宮城実人、岸本隼人、玉城匠、祖慶しのぶら。地謡は照喜名朝一、照喜名朝國、安慶名久美子、宇保朝輝。(伊佐尚記)