バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕


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 沖縄バヤリース(南城市、上間長恒社長)は26日、同社で製造した最後の「バヤリースオレンジ」を出荷する。事実上、42年の歴史に幕を下ろす。同社は30日に解散し、パート13人を含む従業員42人は解雇となる。

営業権はアサヒ飲料(東京)に譲渡、「バヤリースオレンジ」など4銘柄はアサヒ飲料の子会社「アサヒオリオンカルピス飲料」で製造される。県外飲料メーカーとの競争など度重なる経営難を乗り越えてきたが、老朽化した工場へ設備投資する余裕がなくなり、後継者問題も重くのしかかっていた。
 米国生まれのバヤリースオレンジは、沖縄で64年の歴史を持ち、県民に親しまれてきた。1950年、米国の会社とフランチャイズ契約を結び「バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され、軍人・軍属向けに製造を開始した。60年に地元資本を入れて「アメリカン・ボトリング」に社名変更、民間へも出荷するなど順調に業績を伸ばした。
 だが、ボトリング社は72年の日本復帰を機に解散を決めた。そこで社員が出資して72年、新会社沖縄バヤリースを設立した。設立後は苦難の連続だった。免税だった米軍関係の出荷が、復帰後は課税され価格が跳ね上がった。米軍はバヤリースを直接本国から輸入するようになり、全体の3割を占めた米軍向け売り上げを失う。
 加えて県外商品が増加し価格競争にさらされた。追い打ちをかけるように73年の石油ショックでガラス瓶の原料が不足しコスト高になった。その後持ちこたえた。2001年に解散が検討されたが、社員は満場一致で「自主再建」の道を選択した。
 起死回生の策として、当時人気のシークヮーサーに着目し、シークヮーサー果汁飲料の生産を開始した。売れ行きが良かったことから、グアバなど県産素材を生かした健康・長寿商品を開発し業績を回復した。04年度の売り上げは過去最高の16億4800万円だった。しかし、商品回転率の早い飲料業界で、新商品開発が追い付かなかった。会社は次第に体力を失っていった。

消費者と社員に感謝を述べた沖縄バヤリースの安里祥徳会長(中央)と上間長恒社長(左)、バヤリースの製造・販売を引き継ぐアサヒオリオンカルピス飲料の納所義博社長=25日、那覇市天久の琉球新報本社
沖縄バヤリースの定番商品「バヤリースオレンジ」
沖縄バヤリースの沿革