伊江島強制接収60年、阿波根さんの手紙発見


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瀬長亀次郎さんが保管していた阿波根昌鴻さんの手紙(「不屈館」所蔵)

 60年前の1955年3月14日、伊江島で武装した米兵が「銃剣とブルドーザー」によって家屋や畑の強制接収を開始した。土地闘争の先頭に立った阿波根昌鴻さん(1901-2002年)の自宅もこの日、ブルドーザーで破壊され、住民は米軍が設置した粗末なテントでの生活を強要された。翌56年8月、沖縄人民党書記長だった瀬長亀次郎さん(1907-2001年)が国会の参考人として伊江島における米兵の横暴を告発したが、その基礎資料となったとみられる阿波根さんの手紙や写真が13日までに見つかった。当時の状況を生々しく伝える貴重な資料だ。

 55年3月11日朝、武装した米兵約300人が伊江島に上陸した。14日から真謝区などの住民を強制的に追い出し、家屋に火を放ったりブルドーザーで押しつぶしたりして土地を接収した。阿波根さんは「私たちはこの日を屈辱に満ちた日として、子や孫の胸底深くきざみ込むことでしょう」と著書「米軍と農民」(岩波新書)に書いている。
 瀬長さんは56年8月2日、「四原則貫徹県民大会」の派遣代表として、土地問題を訴えるため本土に渡った。阿波根さんの手紙は渡航直後の8月12日付。同年7月12、14、15日に伊江島で米兵が「ガソリン散布で農作物、山林、原野の区別なく焼き払った」などと伝えていた。阿波根さんが撮影した写真も7枚見つかり、うち2枚はこの時に焼き払われた畑の写真だった。
 瀬長さんは8月30日、衆議院外務委員会で7月の焼き払い事件について詳細に証言し「アメリカ現地軍のかかる野蛮な行為が許されていいものでありましょうか」と訴えた。瀬長さんは「ガソリンを散布され、畑、山林、原野の差別なく焼き払われ」たと繰り返しており、手紙の言い回しをそのまま使ったとみられる。手紙と写真は瀬長さんの資料などを展示・保管する「不屈館」(那覇市若狭)の未整理資料から発見された。(安田衛)